大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(刑わ)1512号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

〈訴訟費用については省略〉

本件公訴事実中、昭和六〇年一一月一二日ころ学校法人森学園のため業務上預かり保管中の現金一億三四五万円を横領したとの点及び昭和六一年一月一七日ころ同学校法人のため業務上預かり保管中の現金四〇六八万円を横領したとの点については、被告人はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、学校法人森学園(以下「森学園」という。)の理事長として、森学園の現金及び預金の管理並びに小切手の振出しを含む金銭出納及び経理等の業務全般を統括していたものであるが、

第一  昭和六一年一二月一八日森学園のため業務上管理していた三菱信託銀行株式会社新宿支店の森学園名義の普通預金口座から一億六四五〇万円を払い戻した上、同日、東京都新宿区歌舞伎町一丁目六番二号所在の同支店において、主として妻子を居住させる目的で被告人と被告人の妻の共有名義で購入したアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市カイアリイプレイスに所在する不動産の残代金の支払に充てるため、ほしいままに、これをアメリカ合衆国所在のファースト・ハワイアン・バンクのタイトル・インシュアランス・オブ・ハワイ・インク名義の口座あてに送金して横領した。

第二  昭和六二年九月二八日森学園のため業務上管理していた三和信用金庫南長崎支店の森学園名義の当座預金口座から二億四六〇〇万円を払い戻した上、同月二九日、同都渋谷区渋谷二丁目一九番一二号所在の三菱信託銀行株式会社渋谷支店において、自己の用途に使用する目的で被告人の名義で購入した同市カハラ通りに所在する不動産の残代金の支払に充てるため、ほしいままに、このうち二億四三一七万三二五〇円を同国所在のバンク・オブ・ハワイのロング・アンド・メロン・エスクロー・リミテッド名義の口座あてに送金して横領した。

第三  同年一一月五日森学園のため業務上管理していた三和信用金庫南長崎支店の森学園が使用するダイキュー株式会社名義の普通預金口座から一億九八八五万八五一〇円を払い戻し、更に同日森学園のため業務上管理していた株式会社北海道拓殖銀行渋谷支店の森学園名義の当座預金口座から二億九六六一万九三六〇円を払い戻した上、同日、同都渋谷区渋谷一丁目一三番九号所在の同支店において、自己の用途に使用する目的で被告人の名義で購入した同市クヒオ通りに所在する不動産の残代金の支払に充てるため、ほしいままに、これらを一括して同国所在のシティ・バンク・ホノルルのアイランド・タイトル・コーポレイション名義の口座あてに送金して横領した。

第四  森学園のため誠実にその職務を遂行すべき任務を有していたにもかかわらず、同年一二月三一日(日本時間)ころ、同国ネバダ州ラスベガス市パラダイスロード三〇〇〇所在のホテル「ラスベガス・ヒルトン」において、その任務に背き、自己の利益を図る目的をもって、カジノ賭博の際のホテルへの預託金に充てるため、同ホテルのカジノ担当従業員に対し、株式会社北海道拓殖銀行渋谷支店を支払場所とする学校法人森学園理事長(甲野太郎)振出名義の金額六〇〇〇万円の小切手一通を交付して、森学園に対し六〇〇〇万円の小切手債務を負担させ、もって、森学園に対し、被告人においてあらかじめ右小切手の支払原資の一部として同支店の森学園の当座預金口座に入金してあった四〇〇〇万円との差額二〇〇〇万円相当の財産上の損害を加えた。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定の補足説明)

第一  平成三年五月三〇日付け起訴状記載の公訴事実第一及び第二について

一  公訴事実の要旨

右各公訴事実の要旨は、

被告人は、森学園の理事長として森学園の現金及び預金の管理並びに小切手の振出しを含む金銭出納及び経理等の業務全般を統括していたものであるが、

第一  昭和六〇年一一月一二日ころ、株式会社第一勧業銀行渋谷支店等東京都渋谷区内の五銀行において、森学園のため業務上預かり保管中の現金一億三四五万円を、ほしいままに、自己の用途に充てるため、アメリカ合衆国所在のザ・モーガン・ギャランティ・トラスト・カンパニー・オブ・ニューヨークのカリフォルニア・クリアリング・コーポレイション名義の口座あてに送金して横領した。

第二  昭和六二年一月一七日ころ、東京銀行渋谷支店等同区内の二銀行において、森学園のため業務上預かり保管中の現金四〇六八万円を、ほしいままに、自己の用途に充てるため、右カリフォルニア・クリアリング・コーポレイション名義の口座あてに送金して横領したというものである。

二 前提事実(送金の事実)

第一二回公判調書中の被告人の供述部分(以下、公判手続更新の前後を問わず、「被告人の公判供述(第一二回公判)」のように表記する。)、第二回公判調書中の証人A(以下「A」という。)の供述部分(以下、「Aの証言(第二回公判)」のように表記する。)、A(甲六)及びB(以下「B」という。)(甲八二、八四)の各検察官調書、各報告書(甲一ないし四、二八、一四五)並びに各回答書(甲五、六四)によれば、以下の事実が認められる。

1  右起訴状記載の公訴事実第一に係る送金について

(一) 被告人は、昭和六〇年一一月一二日早朝帰国した後、同日夜日本を立ってアメリカ合衆国へ行き、その旅行中ネバダ州ラスベガス市所在のホテル「シーザースパレス」(以下「シーザースパレス」という。)のカジノで賭博をしたが、それに先立ち、同年四月同ホテルで賭博をした際の一五万ドルの賭博債務の支払及び新たに賭博をするための預託金に充てるため、秘書のBに指示して、同年一一月一二日、Bをして、シーザースワールドインターナショナル東京事務所のAとともに、渋谷区内の株式会社第一勧業銀行渋谷支店、同協和銀行渋谷支店、同三井銀行渋谷支店、同三菱銀行渋谷支店及び同東京銀行渋谷支店からアメリカ合衆国所在のザ・モーガン・ギャランティ・トラスト・カンパニー・オブ・ニューヨークのカリフォルニア・クリアリング・コーポレイション名義の口座(シーザースパレスへの送金先)あてに、現金各二〇六九万円(当時の為替レートで一〇万ドル)、合計一億三四五万円(同五〇万ドル)を送金させた(以下「第一の送金」という。)。

(二) 右送金により被告人の右賭博残債務は精算されたが、被告人は、右旅行中の賭博により、残債務の精算に充てた送金残額三五万ドルを費消した上、新たに一五万ドルの賭博債務を負担するに至った。

2  右起訴状記載の公訴事実第二に係る送金について

(一) 被告人は、昭和六一年一月一七日に日本を立ってシーザースパレスのカジノで賭博をしたが、それに先立ち、前記1(二)の賭博による残債務の支払及び新たに賭博をするための預託金に充てるため、Bに指示して、同日、Bをして、前記Aとともに、前記第一勧業銀行渋谷支店及び前記東京銀行渋谷支店から、前記カリフォルニア・クリアリング・コーポレイション名義の口座あてに、現金各二〇三四万円(当時の為替レートで一〇万ドル)、合計四〇六八万円(同二〇万ドル)を送金させた(以下「第二の送金」という。)。

(二) 右送金により被告人の前記1(二)の賭博による残債務が精算され、被告人は、残額五万ドルを費消した。

三 検察官及び弁護人の主張

1  検察官は、右各送金(以下「本件各送金」という。)の原資は、被告人が理事長として業務上預かり保管していた森学園の金員であると主張し、具体的には、第一の送金については、昭和六〇年一〇月三〇日、森学園所有の神奈川県厚木市所在の土地、建物(以下「厚木物件」という。)を中銀建設株式会社(以下「中銀建設」という。)に一五億八六一三万円で売却した際、同社からいわゆる裏金として現金で受領して保管していた五〇〇〇万円並びに送金前日の同年一一月一一日及び送金当日の同月一二日にそれぞれ三井信託銀行株式会社(以下「三井信託」という。)渋谷支店の森学園名義の当座預金口座から払い戻された三〇〇〇万円及び四〇〇〇万円の合計一億二〇〇〇万円の一部であり、第二の送金については、送金当日の昭和六一年一月一七日に同栄信用金庫渋谷支店の森学園名義の普通預金口座から払い戻された四〇〇〇万円及び当時被告人が保管中の森学園の現金六八万円であると主張する。

2  これに対し、弁護人は、本件各送金のいずれについても、その原資は、以前、被告人がアメリカ合衆国等のカジノでバカラ等の賭博で何度か大勝した時に日本に持ち帰って理事長室及びその周辺に保管していた現金の一部であり、森学園の金員ではない、昭和六〇年一一月一一日及び同月一二日に森学園の口座から払い戻された合計七〇〇〇万円は、同日被告人の友人C(以下「C」という。)に貸し付けていて、第一の送金には充てられておらず、中銀建設から五〇〇〇万円の裏金を受領したことはない、昭和六一年一月一七日に払い戻された四〇〇〇万円も同日Cに貸し付けており、第二の送金には充てられていない、と主張し、被告人も公判廷でこれに沿う供述をしている。また、弁護人は、第二の送金の端数六八万円については、検察官はこれに充てられた現金の存在を全く立証していないと主張する。

四 森学園の口座から払い戻された各金員の使途について

1  外形的事実による検討

(一) 関係各証拠によれば、検察官主張のとおり、三井信託渋谷支店の森学園名義の当座預金口座から、昭和六〇年一一月一一日に三〇〇〇万円、同月一二日に四〇〇〇万円、昭和六一年一月一七日に四〇〇〇万円が、それぞれ現金で払い戻されていること、これらの現金はすべて森学園のものであることが認められ、このことは、被告人も公判廷において自認するところである。

(二)(1) 昭和六〇年一一月一一日の右払戻しは、第一の送金の前日になされたもので、第一の送金と時間的に極めて近接している上、右払戻金を第一の送金に充てることが可能であったことも明らかである。

(2) 同月一二日の右払戻しは、第一の送金の当日になされたもので、第一の送金と時間的に極めて近接している上、各報告書(甲一ないし四)、回答書(甲五)及び松田博の検察官調書(甲一四)によれば、右払戻しの時刻は午前一〇時三〇分ころであるのに対し、第一の送金はいずれも同日午後であるから、右四〇〇〇万円についても第一の送金に充てることは十分可能であったと認められる。

(3) また、江尻以美子(第三回公判)及び山崎日出幸(第四回公判)の各証言、Bの検察官調書(甲八三)、各報告書(甲六八、六九)、「元帳六〇年度」と題する帳簿(甲七〇。平成三年押第一一九〇号の1)並びに総勘定元帳(甲一二九。同押号の21)によれば、右のとおり払い戻された各現金は、森学園の総勘定元帳上、いずれも株式会社アルプスへの短期貸付けとして経理処理されているが、株式会社アルプスにこれに対応する入金はなく、実際にはそのような貸付けはなかったことが認められる。

(三)(1) 昭和六一年一月一七日の前記払戻しは、第二の送金と同じ日であり、金額もほぼ同額であるところ、各報告書(甲一、二、二〇)によれば、右払戻し時刻は午前一一時前後であり、第二の送金はいずれも同日午前一一時ころから午後一時ころまでの間であって、右現金を第二の送金に充てることは十分可能であったと認められる。

(2) また、上山ウメ子の検察官調書(甲二一)及び総勘定元帳(甲一二九。前同押号の21)によれば、森学園の総勘定元帳では、右払戻金は「土地支出」科目に計上され、鉛筆書きで「西小山」と付記されているところ、会計事務所の事務員として森学園の総勘定元帳の作成を担当していた上山ウメ子が、昭和六一年三月期の総勘定元帳を作成するに当たって、森学園の普通預金出納帳には右四〇〇〇万円の払戻しにつき「土地」としか書かれていなかったのでBに問い合わせたところ、Bから、森学園が東京都目黒区原町の土地及び建物(以下、これらを「西小山物件」という。)を購入した際の売買契約書が送られてきて、それには、買主の森学園は、売主が右建物の賃借人らから預かっている保証金合計四〇〇〇万円の返還債務を負担する旨の記載があったので、右上山において右払戻金が西小山物件の取得費用の一部であると判断して処理し、付記したことが認められるが、金煕淑(甲二二)、横田菊次(甲二三。抄本)、福田壽(甲二四)、對馬洋一(甲二五)、稲葉武(甲二六)及び木下修宗(甲二七)の各検察官調書によれば、右払戻し当時、右賃借人らに対し保証金は支払われていないことが認められる。

(四) 被告人は、公判廷において、右各払戻金が実際には森学園の総勘定元帳に記載された使途に使われていないことを自認しつつ、総勘定元帳に前記のように記載されるに至った事情は分からないとし、被告人が指示したことはないと供述している(第五一回、第五二回公判等)。しかし、Bの証言(第一六回公判)並びにDの証言(第一七回公判)及び検察官調書(甲五六)等森学園関係者の供述するところによれば、森学園においては、学園運営に必要な授業料等の徴収、必要経費の支払等の経理は事務局で行っていたものの、高額の不動産売買、株式投資等は被告人が直接行っており、事務局長であったDや事務局員及びBはこれに実質的な関与はしていなかったことが認められ、右事実によれば、前記各払戻金の使途に関する経理処理は被告人の指示ないし説明に基づいて行われたものと認めるのが相当である。そうすると、被告人は、右各払戻金の使途についてBに対し殊更虚偽の内容の指示ないし説明をしたことになり、このことは、検察官主張のように、真実の使途が賭博債務の支払であったため、その使途を隠ぺいしようとしたことを疑わせるものということができる。

(五) 以上検討したように、昭和六〇年一一月一一日及び同月一二日の各払戻しと第一の送金、昭和六一年一月一七日の払戻しと第二の送金がいずれも極めて近接しており、かつ払い戻された現金を各送金に充てることが可能であった上、総勘定元帳上各払戻金の使途として記載された内容が虚偽であるところ、その記載は被告人の指示ないし説明に基づいて行われたものと認められることからすると、右各払戻金が他の用途に充てられた疑いが生じない限り、昭和六〇年一一月一一日及び同月一二日の各払戻金は第一の送金に、昭和六一年一月一七日の払戻金は第二の送金の一部に、それぞれ充てられたものと推認されるというべきである。

2  Cへの貸付けの有無に関する被告人の供述

(一) 被告人は、公判廷において、昭和五九年に友人のCが共和ビルディング株式会社代表取締役E(以下「E」という。)に財団法人日本宅地協会(以下「日本宅地協会」という。)の経営権を一億六〇〇〇万円で売却し、その代金が森学園の口座に入金される形でCに支払われた、その後右売買が解消され、Cから依頼されて右売買代金の返還資金として、昭和六〇年一一月一二日に七〇〇〇万円、昭和六一年一月一七日に四〇〇〇万円を貸し付けた、昭和六〇年一一月一一日及び同月一二日の各払戻金合計七〇〇〇万円並びに昭和六一年一月一七日の払戻金四〇〇〇万円は、いずれも右貸付けに充てたものである。被告人の一九八五年(昭和六〇年)の手帳(弁二七。前同押号の2)の一一月一二日の欄の「ヒルトンc7千完了」及び一九八六年(昭和六一年)の手帳(弁二八。同押号の3)の一月一七日の欄の「c4千完了」の各記載は、それぞれCに対し右各貸付けを行ったとの趣旨である、と供述している(第一二回、第三二回、第三四回ないし第三七回、第三九回公判等)。

(二) 被告人の右供述のうち、CがEに日本宅地協会の経営権を一億六〇〇〇万円で売却し、Eからその代金が森学園の口座に入金される形で支払われたこと、その後、右契約が解消され、CがEから代金の返還を求められていたことは、Eの証言(第三八回公判)及び報告書(甲九七)により一応裏付けられている。しかし、後述するように、被告人は捜査段階ではCに前記各払戻金を貸し付けたとの弁解はしておらず、右弁解は、公判段階、しかも被告人の保釈後に至って、弁護側から証拠として提出された被告人の手帳の記載を根拠に初めてなされたものである上、森学園の総勘定元帳の記載がCへの貸付けとなっていないことは前記のとおりであり、また、右手帳のほかに、Cとの契約書や森学園の理事会の決議等右貸付けを裏付ける書類は提出されていない。さらに、この点に関する関係者の供述も捜査段階の証拠中にはなく、いずれも公判段階での証言である(なお、関係者の証言によれば、Cは既に昭和六三年に死亡している。)。

したがって、被告人の右公判供述の信用性は、右手帳の記載の信用性に大きく依存しているということができる。

3  手帳の体裁及び記載内容等について

(一) 弁護人の請求に係る一九八四年(昭和五九年)から一九八八年(昭和六三年)まで合計五冊の被告人の手帳(弁二七ないし三〇、五六。前同押号の2ないし6。以下、単に「手帳」というときは、右五冊の手帳を指す。)は、いずれも、同じ大きさで、見開き二ページに一週間分の記載ができるようになっており、各日付の欄には、人との面会やホテル等での待ち合わせ、会合、パーティ、ゴルフ等の各種行事、海外出張や国内旅行及び森学園の授業、合宿、会議等各種の予定並びに金銭や株式が関係していると思われる事項等がほぼ連続してかなり細かく記載されている。また、昭和六〇年二月一八日の欄までは同一人の筆跡とみられるのに対し、同月一九日の欄以降は明確に字体の異なる筆跡が併存しているところ、被告人の公判供述(第三二回、第四二回公判等)及びBの証言(第一六回公判)によれば、同月一八日の欄までは被告人が、同月一九日の欄以降は被告人とBが記入したもので、被告人は主に黒又は赤の「ボールぺんてるB50(0・8mm)」という筆記用具を使用して記入し、Bは、被告人が出勤したときに、被告人から手帳を借りて、被告人の指示により、Bが電話や郵便物等で確認した予定あるいは被告人が指示した事項等を書き込んでいたものと認めることができる。以上によれば、手帳の各記載は、記載欄の日付のころに、その日の予定、出来事等として記入されたことが推認されるというべきである。

(二) そこで、被告人が七〇〇〇万円及び四〇〇〇万円をCに貸し付けたことを裏付ける手帳の前記記載の真偽について検討する。

(1) 右七〇〇〇万円の貸付けに関するとみられる一九八五年(昭和六〇年)の手帳(弁二七。前同押号の2)の記載は、以下のとおりである(上段は記載欄の日付(いずれも昭和六〇年)。下段はその記載内容。〔 〕内は記載から推測される記載者及び筆記用具。日付の年度を除き、以下同じ。)。

一一月 七日 9:30p.m.C・イワサ〔被告人、黒色ボールぺんてる〕

c7千の件〔同右〕

一一日 C氏phoneする〔同右〕

一二日 1:00p.m.C氏来校〔B、赤色ボールペン〕

ヒルトンc7千完了〔被告人、赤色ボールぺんてる〕

(2) 右四〇〇〇万円の貸付けに関するとみられる一九八六年(昭和六一年)の手帳(弁二八。前同押号の3)の記載は、以下のとおりである(日付はいずれも昭和六一年)。

一月一〇日 9:30p.m.C氏(牧)〔B、黒ボールペン〕

C氏へ4,000万(学校分)、14日に返済(貸付け)〔下線省略。B、赤色ボールペン〕

一二日 6:00~8:00p.m.C氏〔B、黒色ボールペン〕

C氏4,000万の件1月17日に変更〔B、赤色ボールペン〕

一五日 3:00p.m.C氏4000千〔被告人、赤色ボールぺんてる〕

一七日 ジム同栄〔被告人、黒色ボールぺんてる〕

3:00p.m.C氏来校〔B、黒色ボールペン〕

c4千完了〔被告人、黒色ボールぺんてる〕

(3) 被告人は、公判廷において、右(1)、(2)の各記載は各記載欄の日付のころに被告人及びBにおいてそれぞれ記入したもので、本件で保釈された後に記入したことはないと供述し(第三二回公判等)、Bも同様の証言をしている(第一六回公判)。

(4) Cが関係するとみられる記載は各手帳について多数みられるが、そのうち金銭が関係しているものとして、昭和六一年一一月七日の欄にも、被告人が黒色ボールぺんてるで書いたと思われる字で「c6千完了」と、前記(1)、(2)と同様の記載が認められる上、昭和五九年一一月一六日から同年一二月一七日の欄にかけて、いずれも被告人が黒色ボールぺんてるで書いたと思われる字で、「5:00~6:00p.m.帝国ホテルロビーEさんとC」(一一月一六日)、「C氏→学2000万借入」(同月一七日)、「C氏1億入金(E分)一勧渋東」(同月三〇日)、「5000万C氏へ(E分)」(一二月三日)、「C氏→学校借り4000万(E分)」(同月一七日)等の記載が認められ、右記載は、日本宅地協会の経営権の売却代金が森学園の口座に入金されたことと関連しているとみられるところ、その内容はEの証言(第三八回公判)及び右売却代金の森学園口座への入金状況(報告書(甲九七)添付資料〈11〉ないし〈13〉)とも整合している。

また、警察庁技官鈴木真一作成の鑑定書及び同人の証言(第四八回公判)(以下「鈴木鑑定」という。)によれば、前記(1)ないし(4)の被告人が記入したとみられる記載のうち傍線を引いた部分の記載は、被告人の保釈後である平成二年一二月に配合変更されたボールぺんてるの黒インクよりもそれまで使用されていた昭和五五年一月に配合変更されたボールぺんてるの黒インクによって書かれた可能性が高いことが認められる。

(5) さらに、手帳には、C以外で金銭貸借が関係していると思われる記載として、昭和六〇年四月三〇日の欄に「新宿校舎予定地5億円支払い」〔B、黒色ボールペン〕、同年一二月二〇日の欄に「山崎社長1億円」〔被告人、黒色ボールぺんてる〕、昭和六一年一月二四日の欄に「神田西小山の実行9,000万」〔被告人、黒色ボールぺんてる〕、同月三〇日の欄に「栗原氏1億」〔被告人、黒色ボールぺんてる。ただし、Bの鉛筆書で「1/30決済」と添え書き〕等相当数あり、「c7千完了」というような書き方がされているところはないものの、前記(1)、(2)の各記載はこれらの記載と比べて特に違和感はない。また、Bの記載部分についても、「C氏来校」というような部分はほかにも多数見られ、前記のように金銭に関する別の記載もある。Bが秘書として作成していた一九八六年(昭和六一年)のダイアリー(甲一二三(前同押号の17)はその写し)には、前記(2)に関しては、一月一〇日の欄に「9:30p.m.Cさん(牧)」とあるだけで、それ以上の手帳の記載に対応する記載はないが、後記第二の二2(四)(2)で述べるように、手帳の記載と同様の記載が右ダイアリーに常に記載されているわけではなく、手帳にBの字で記載されているが、右ダイアリーにはその旨の記載がないところも相当数認められ、これも不自然とまでは言えない(なお、前記(1)の関係では、これに対応するダイアリー又はその写しは証拠として提出されていない。)。

(6) 以上によれば、手帳の記載状況、使用インク、Cへの貸付けに関する部分の記載内容等について、手帳自体からは特に不自然な点は認められないというべきである。

4  Cへの貸付けに使用したとの被告人供述の出現経緯及び手帳の提出経緯について

(一) 被告人が、捜査段階の取調べにおいて、前記合計七〇〇〇万円及び四〇〇〇万円の各払戻金のいずれについても、Cへ貸し付けたとの弁解を一切していなかったことは、被告人自身公判廷で自認するところである上、被告人の検察官調書(乙六)によれば、被告人は取調べ検察官に対し、手帳は、平成元年一二月から平成二年一月の間にシュレッダーにかけて破棄したと供述していたことが認められ(被告人は公判廷において検察官にそのようなことを述べたことはないと供述するが(第三五回公判)、信用できない。)、また、保釈されるまでは弁護人にも手帳の所在を明らかにせず、手帳が保釈後に被告人から弁護人に提出されたことは、被告人が公判廷で供述するところである。

(二) この点につき、被告人は、公判廷において、捜査の途中で捜査機関が手帳を押収していないことに気付いた、金額ははっきりしなかったものの、Cに金を貸したことも思い出したが、担当検察官の取調べがごう慢なので反発して言わなかった、勾留中、弁護人には手帳があるかもしれないと話したと思うが、実父F方にあるだろうと思ったもののはっきりしなかったことと、自分で内容を確認してから提出しようと思ったこと、さらには弁護人との信頼関係が十分でなかったことから、その所在については弁護人にも話さなかった、保釈後、実父方で手帳を見つけて弁護人に渡した、と供述している(第三二回、第三五回、第五二回公判)。

(三) 逮捕勾留されて取調べを受けている過程で、横領の嫌疑をかけられている金員を犯罪行為ではない別の用途に使用したことを思い出したのであれば、その旨弁解し、そのための証拠があるというのであれば、その存在及び所在を明らかにして自らの潔白を証明しようとするのが自然であるということができ、取調検察官の態度に不満があったことだけで自由の身になることを放棄してまで真実を述べなかったという被告人の前記公判供述を直ちに措信することはできない。さらに、起訴後検察官の立証が終了し被告人が保釈されるまでの一年以上に及ぶ間の弁護人らの精力的な弁護活動を見ると、捜査段階や公判段階の当初はともかく、その後は特に弁護人の活動を信頼できないような事情はなかったと思われ、捜査の終了により手帳の別の記載内容について検察官から追及されるおそれも事実上なくなったにもかかわらず、弁護人に手帳を探してくれるよう求めなかったことの不自然さは否定できないところであって、被告人が故意に手帳を隠し、後日これに改ざんを加えた可能性が高いとの検察官の主張も理由のないものではない。

しかし、本件では、別の用途に使ったというためには、被告人は自己の行動記録がかなり詳細に記載されている手帳を捜査機関に提出しなくてはならないところ、本件各送金から平成三年五月九日の被告人の逮捕まででも五年以上経過しており、手帳にどのように記載されているかについての被告人の記憶が鮮明であったとは思われず、主張どおりの記載が実際になされているかどうかについて確信を持てなかったとも考えられ、他方、手帳には様々な人物との面談状況や別の金銭貸借関係の記載も多く、被告人が手帳の他の記載から新たな事柄について追及されることを恐れて、Cへの貸付けの話を検察官にせず、また、手帳については自分で記載内容を確かめた上で処置を決めようと考えて、検察官に対して手帳を破棄したと述べたことも考えられないことはなく、自分で内容を確認してから提出しようと思ったとの被告人の公判供述はこのような意味で了解できないわけではない。また、被告人がいわゆるワンマンですべてを自分で決めないと気がすまない性格であることは、被告人の公判廷での供述態度や関係者の証言等からうかがわれるところであって、被告人のそのような性格に照らすと、弁護人にすべてを話して任せるということができず、弁護人にも手帳の所在を教えないでまず自分で確かめてみようとした旨の被告人右公判供述も、必ずしも不合理であるとして排斥することはできない。

(四) 以上のように、Cへの貸付けに使用したとの被告人の供述の出現経緯及び手帳の提出経過については、不自然、不合理な点が多々あることは否定できないものの、被告人の性格や置かれていた状況等をも考慮すると了解できないわけではなく、鈴木鑑定の結果にもかかわらず、右の点のみをもってCへの貸付けに関する手帳の前記記載が後日改ざんされたものであると断定することはできない。

5  Cへの貸付けに関する被告人の公判供述及び関係者の証言等の信用性について

(一) 被告人の公判供述の信用性について

(1) Cへの貸付けの主張に関しては、手帳の前記記載を除くと、関係各証拠中に契約書、森学園内部の決済書類等右貸付けを裏付ける物的証拠はなく、森学園の経理処理上は前記1(二)ないし(四)で認定したように虚偽の記載がされているところ、被告人も、公判廷において、Cへの各貸付けについては、契約書は作成せず、理事会等にも諮っておらず、しかも、明確な返済期限の定めはなく、無担保で、金利の約束もしていない、Cは返済しないまま死亡したが、その遺族に法的な返還を求めたことはない、と供述している(第三六回公判)。

(2) 被告人とCがかなり親しい間柄であったことは、被告人の公判供述のみならず、手帳の随所に見られるCに関する記載及び関係者の各証言等からも認められるところであり、また、経済的にも関係があったことは、Cが売却した日本宅地協会の経営権の売却代金一億六〇〇〇万円が前記のとおり森学園の口座に入金されていることからもうかがわれる。そうすると、日本宅地協会の経営権の売買が解消されて受け取った代金の返還を求められていたCが被告人にそのための金員の貸与を頼み、被告人がこれに応じて、無担保、無利息で貸すことも考えられなくはない。そして、関係者の各証言や被告人の公判供述(第五一回公判)によれば、被告人は日ごろ、投資等で高額の金員を動かすときに一々理事会や評議員会を開催するということはしておらず、被告人一人の判断で行っており、事後の経理処理もずさんで、決算書類の作成の際、高額の使途不明金が何件もあったことが認められ、特に本件のみ理事会や評議員会に諮らず、契約書類を作成しなかったというわけではないから、このような手続が取られていなかったからといって直ちに右貸付けがなかったとみることはできない。もっとも、被告人の指示ないし説明に基いて合計七〇〇〇万円と四〇〇〇万円の前記各払戻金の使途について総勘定元帳上虚偽の記載がされていることは、前記のとおりであるが、Cへの貸付け自体、財団法人の売買とその解約というやや不明朗な事柄に関するもので、その財団法人の内紛がマスコミにも取り上げられており(報告書(甲九七))、被告人が右売買に関与していたこともうかがわれるところ(Eの証言(第三八回公判))から、被告人自身は必ずしもそのようには述べていないものの、森学園によるCへの貸付け自体を公にしたくなかったとも考えられるのであって、このような事情を前提とすると、被告人が前記各払戻金の使途につき帳簿等に虚偽の記載をさせたからといって、直ちにCへの貸付けが虚構であると断定することは、ややちゅうちょされるところである。

(3) なお、Eは、Cから全く返還してもらっていないし、被告人から借りて返すという話もなかったと証言している(第三八回公判)が、Cが被告人から受け取った金員をそのままEに返したとは限らない上、被告人は、公判廷において、Cに貸し付けた後、EにCから返済を受けたかどうか尋ねたところ、Eは三〇〇〇万円しか返してもらっていないと言っていたと供述しており(第三二回公判)、被告人において虚偽の供述をするのであれば三〇〇〇万円と限定する必要はないことから、直ちに被告人の右供述が虚偽であるとはいえず、Eの証言を根拠にCへの貸付けを否定することはできない。

(二) 関係者の証言の信用性について

(1) Dの証言(第一七回公判)について

被告人の実兄で、森学園の事務局長をしていたDは、被告人かBから言われて、昭和六〇年一一月一一日に三〇〇〇万円、同月一二日に四〇〇〇万円を銀行から下ろしてきて、三〇〇〇万円については理事長室に持って行き、四〇〇〇万円については紙袋に入れて自分の方で保管していた、同日午後二時ころCが来校して被告人に面会を求めたので、被告人に電話すると、被告人がCが約束の時間に遅れたことで怒ったため、Cはそのまま被告人と会わずに出て行った、同日午後三時か四時ころ、被告人が現金四〇〇〇万円の入った右紙袋を受け取って外出した、昭和六一年一月一七日同栄信用金庫の職員が四〇〇〇万円を届けに来て、自分の方で紙袋に入れて保管していた、同日午後三時ころCが来校し、被告人に電話したところ、「渡してくれ。」と言われたので、紙袋ごとCに渡した、これらの金員の使途は知らない、と被告人の前記公判供述に沿う供述をしている。

検察官は、Dは、被告人の直近にいて、しかも経理担当者であったにもかかわらず、森学園の多額の資金をCに貸した目的について全く知らなかったというのは不可解であり、被告人の親族であることからしても、その証言は全般的に信用性がないと主張する。

確かにDは被告人の実兄であって、その証言の信用性は利害関係のない第三者の証言等に比べ、類型的に低いといわざるを得ない。しかし、Dが専ら学園内の事務を担当し、経理や金員の取扱いもその限度にとどまっていたことは、同人の捜査、公判段階の供述を始め、被告人及び関係者のほぼ一致して供述するところであって、Dは高額の貸付けや投資等には実質的に関与していなかったことが認められるから、同人が、Cに対する前記貸付けの目的を知らなかったとしても不可解とはいえず、その証言内容もそれなりに具体的で特段不自然なところもない。さらに、一九八六年(昭和六一年)の手帳(弁二八。前同押号の3)の一月一七日の欄に「ジム同栄」と記載されているところ、Bの証言によれば、「ジム」とは事務局長であるDのことであり、また「同栄」とは同栄信用金庫のことであることが認められ、Dの証言を裏付けているものといえる。もっとも、Dは捜査機関には右のような内容の供述をした様子はないが、そもそも同人に合計七〇〇〇万円及び四〇〇〇万円の各払戻し並びにその使途について具体的な質問がされたかどうか明らかでなく、公判廷で初めて右のような証言をしたからといって、直ちにその信用性を否定することはできない。

(2) その他の証言等の信用性

アメリカ合衆国で不動産業を営むケネス・アラン・ベイルズ(以下「ベイルズ」という。)(第二五回、第二七回公判)、被告人の友人で取引関係もあり、またCとも交友のあった横瀬静伸(第二六回公判)及び川畑重雄(第三一回公判)並びに被告人のおいG(第二一回公判)らは、それぞれ、Cが被告人から一億円あるいは一億一〇〇〇万円くらい借りたという話を聞いたと証言し、その趣旨の記載を含むベイルズがC及びコンサルタントにあてた手紙の写し(弁四七、四八)も証拠として提出されている。右各証人はいずれも被告人と親しい関係にある者あるいは被告人の親族であり、また、各証言の内容も、Cが借入れを望んでいる旨を被告人に伝えたとする横瀬の証言を除くと、いずれも伝聞又は抽象的な内容であり、手紙の内容も同様であって、その証明力は低いといわざるを得ないが、一応、Cへの貸付けを裏付けるものというべきである。

6  小括

以上の検討の範囲においては、Cに対する前記貸付けが虚構であるとは必ずしも断定できず、本件各送金の当時、被告人の手元に、森学園の口座からの前記払戻金以外に、森学園に属さない、送金可能なかつ送金額に見合う現金が存在した可能性がある限り、森学園のものではない金員が送金された疑いが残るというべきである。

そのような現金があった可能性については、後記六で検討する。

五 中銀建設からの裏金五〇〇〇万円の取得の有無及びその使途について

1  裏金受領の有無について

Hは、同人が代表取締役を務める中銀建設は、昭和六〇年一〇月三〇日、森学園から同学園所有の厚木物件を一五億八六一三万円で購入したが、その際、売買代金額が一五億三六一三万円と一五億八六一三万円の二通の契約書を作成し、同日森学園に支払った代金のうち五〇〇〇万円についてはいわゆる裏金として現金で被告人に交付したと証言し(第二回公判)、他方、被告人は、公判廷において、右五〇〇〇万円を受け取ったことはないと供述している(第三七回公判)ところ、Hの右証言は、その内容が具体的で不自然な点がない上、二通の契約書の内容や同人が右購入当時作成したメモの記載と一致しており(報告書(甲六六。抄本二通))、また、森学園においては、昭和六一年三月の決算期に総勘定元帳を作成する際厚木物件の売却代金のうち五〇〇〇万円が入金されておらず、使途も不明であることが判明し、同月三一日付けで右五〇〇〇万円を厚木物件購入代金の未計上分として計上し、昭和六〇年一〇月三〇日付けで被告人に貸し付けたこととして処理した事実(上山ウメ子(第四回公判)及び大森正嘉(第五回公判)の各証言、Bの検察官調書(甲八五)、各報告書(甲七一、七二))とも整合していて、十分信用でき、これに反する被告人の右公判供述は信用できない。

なお、弁護人は、被告人が右五〇〇〇万円を受け取っていないことの論拠として、右の二通の契約書が作成されたのは、中銀建設が銀行から融資を受けるために買戻特約のない契約書が必要だったためであると主張し、報告書(甲六六。抄本二通)によれば、売買代金額が一五億三六一三万円の契約書には買戻特約があり、一五億八六一三万円の契約書には買戻特約がないことが認められるが、弁護人主張の点は、そのことから二通の契約書が作成されたことが中銀建設側の発案によるものであることを推認し得たとしても、裏金を受領したことを否定する根拠にはならない。

以上によれば、昭和六〇年一〇月三〇日に被告人が森学園の不動産の売却代金の一部すなわち森学園の金員五〇〇〇万円(以下「本件裏金」という。)をいわゆる裏金として現金で受領したことが認められる。

2  本件裏金の使途について

Hの証言(第二回公判)及びBの検察官調書(甲八五)によれば、本件裏金は受領後理事長室の金庫に保管されたものと推認されるところ、昭和六〇年一一月一四日にBがラスベガスからの被告人の指示で金庫の中の現金を調べたときには六六〇万円余りしかなかったこと(Bの右検察官調書)に照らすと、本件裏金の一部が第一の送金に使用された可能性が考えられる。また、本件裏金を受け取っていることは明らかであるにもかかわらず、被告人が受け取っていないと強弁してその使途を明らかにしないことは、被告人が右裏金を賭博といった公にできない事柄に使用したことを推認する方向に働くものといえる。

しかし、被告人が本件裏金を受領した日から第一の送金までの間に一〇日以上経過しており、本件裏金が第一の送金の原資となったと推認する前提となる時間的接着性がさほど強いとはいえない。もっとも、Bは、検察官に対し、当時は株取引もそう激しくなく、資金繰りに追われる状態ではなかったので、第一の送金時には本件裏金はしばらくは金庫の中にあったと思う旨第一の送金時になお本件裏金があった可能性を示唆する供述をしている(甲八五)が、右は推測にとどまり、根拠も具体性を欠くというべきであって、右供述により本件裏金が第一の送金の原資となったことを推認することはできない。

結局、本件裏金の全部又は一部が第一の送金に充てられたかどうかについても、前記四で述べたのと同様に、被告人の手元に、森学園に属さない、送金可能なかつ送金額に見合う現金が存在した可能性の有無が問題となるというべきである。

六 本件各送金の当時、被告人の手元に、森学園に属さない、送金可能なかつ送金額に見合う現金が存在した可能性について

1  弁護人は、被告人は、ラスベガスでのバカラ等のゲーム賭博で何度か大勝したことがあるが、それによって得た金員を、洋酒等の空き箱に入れた上布袋に入れ、同行した者らに持たせてハワイを経由して日本に持ち込み、森学園の理事長室でデパートの紙袋等に移し替えた上、理事長室内のロッカー等に保管しており、その合計は数億円に上ったが、昭和六〇年一一月一二日当時でも約二億円ほどが被告人の手元に保管されており、その中から本件各送金に充てたと主張し、被告人も公判廷でその旨供述している(第一二回、第三二回、第五一回、第五二回公判)。また、この点に関する被告人の捜査段階の供述調書はないものの、松井功(甲八一。抄本)、G(甲一〇〇)の各検察官調書に照らすと、被告人が捜査段階においても賭博で得た金をウイスキーや土産等の箱に入れて持ち帰ったとの弁解をしていたことがうかがわれる。

2  検察官は、被告人は、ラスベガスでの賭博でほとんど負けており、賭博で得た金を右のようにして持ち帰った事実はなく、また、賭博に勝った数少ない機会に得た金も、ハワイ州の銀行に入金された後、再びラスベガスにおける賭博債務の返済や賭博のための預託金等に使用されていたもので、日本に還流させるべき金などなく、理事長室に賭博で得た多額の金を所持していたとの被告人の弁解は虚偽であると主張する。

3  そこで、まず、賭博で得た金の日本への持込みの有無について検討する。

(一) 本件各送金当時のシーザースパレスにおける被告人の賭博の勝ち負けの状況について

(1) 各報告書(甲一四〇、一四五、一四六)及び被告人の公判供述(第一二回、第三一回公判)によれば、被告人は昭和五十七、八年ころからシーザースパレスで賭博をするようになり、昭和六二年五月ころまで同ホテルに年に数回、数日間ずつ滞在して、主にバカラと称する賭博を行っていたこと、ラスベガスヒルトンでもバカラ賭博をするようになったが、それは昭和六一年一一月ころ以降であったこと、被告人がバカラ賭博をするに当たっては、被告人が持参しあるいはあらかじめ送金した金員(前回の賭博で債務が残っていた場合はこれに充当した残額)が賭博のための預託金(デポジット)となり、その金額と被告人に認められている信用枠の範囲内での借金(クレジット)の額の合計額以内でかけることができたことが認められる。

(2) そして、シーザースパレスの帳簿の記載内容に関する報告書(甲一四五)には、昭和六〇年以降の被告人の賭博についての支払及び負債状況が記載されているが、これによれば、昭和六〇年は、第一の送金時の賭博ツアー以前に三回の賭博ツアーの記録が残っており、被告人は右各賭博ツアーの際、各前回の債務充当分及びその時に負けた分としてそれぞれ一四八万五〇〇〇ドル、八〇万ドル、七〇万ドル(合計二九八万五〇〇〇ドル)を支払い、第三回目のツアーの終了時点でなお一五万ドルの負債が残ったと記録されていること、第一の送金時の賭博ツアーにおいては六〇万ドルを支払い、なお一五万ドルの負債が残ったと記録されていること、昭和六一年以降は、第二の送金時の賭博ツアーにおいては、三二万ドルを支払い、なお三万ドルの負債が残り、その後も、被告人が賭博ツアー一回あたり少ないときで約四〇万ドル、多いときで一一〇万ドルを支払い、最終的に二〇万ドルの負債が残ったと記録されていることが認められる。すると、右報告書による限り、被告人はいつもデポジットした全額を費消し、かつ負債を次回に引き継ぐ形になったことが多かったことになる。

しかし、他方、写真(弁二六写真番号1ないし5)及び被告人の公判供述(第三一回公判)によれば、被告人は昭和五九年一一月ころシーザースパレスのバカラ賭博で三八〇万ドルくらい勝ったことがあったこと(右大勝した際に撮影された写真には被告人が獲得した大量のドル紙幣が写っており、三八〇万ドルくらい勝った旨の被告人の供述が誇張されたものとはいえない。)、報告書(甲一四五)には記載がないものの、昭和六一年三月にも約一八〇万ドル勝ったことが認められ、シーザースパレスでの賭博において、被告人が検察官主張のようにほとんど負けてばかりいたといえるか疑問の余地がある。また、報告書(甲二八)によれば、本件各送金時の賭博の負債の一部はバカラチップによる入金分によって支払われたことがうかがわれ、そうすると、昭和六〇年の第一回目及び第二回目の賭博ツアーにおいてもバカラチップによる入金分によって負債の一部が支払われている可能性があり(報告書(甲二八)によれば第三回目の賭博ツアーにおいてはバカラチップによる入金はなかったとみられる。)、現実に被告人が支払った額は前記の金額より少ない可能性がある。そして、右のとおり昭和五九年一一月ころに大勝したことも考慮すると、被告人が、それ以後第一の送金時あるいは第二の送金時までの間に結果的に負けていたかどうかは明らかでなく、むしろなお相当額の利得が残っていた可能性も考えられる。

(3) もっとも、報告書(甲一四七)のラスベガスヒルトンの賭博債務支払状況一覧表によれば、ラスベガスヒルトンでの賭博では大きく負けが込んで負債が増加していったことが認められ、各報告書(甲一四〇、一四九)によれば、東京の銀行やハワイの被告人名義の口座等からシーザースパレス、ラスベガスヒルトンへの多額の送金がされていることが認められるが、ラスベガスヒルトンでの賭博は昭和六一年一一月以降であり、また、第一の送金以前の送金状況については必ずしも明らかとなっておらず、前記(2)で検討した点も考慮すると、第一の送金時である昭和六〇年一一月及び第二の送金時である昭和六一年一月の時点にさかのぼっても右と同様であったと推認することは相当でない。

(4) 結局、本件各送金以前のシーザースパレス等における被告人の賭博の結果は証拠上必ずしも明らかとはいえず、右各送金時なお相当額の利得が残っていた可能性も否定できない。

(二) 被告人が賭博で得た金を洋酒の箱等に詰めて賭博ツアーに同行した者らに持たせて持ち帰ったとの点について

(1) 被告人は、公判廷において、賭博で勝った金の一部はアメリカの銀行に預金したが、残りはハワイのブラックマーケットで円に替えるなどした上、何度か日本に持ち帰った、持ち帰った金員は賭博に使った、と供述している(第一二回、第三一回公判等)。

(2) ところで、そもそも賭博に使うというのであれば、ハワイの銀行なりに預金しておけば足り、わざわざ、手のかかることまでして日本に持ち込む必要性はなかったといえなくもなく、実際、写真(弁二六写真番号4ないし7)、報告書(甲一四〇)及び被告人の前記公判供述によれば、昭和六一年三月に約一八〇万ドル勝った際や昭和六二年四月にラスベガスのアラジンホテルのバカラ賭博で一〇〇万ドル勝った際に、その一部ないし全部がハワイ州所在のファースト・インターステイト銀行の被告人名義の口座に入金されていることが認められる。しかし、報告書(甲一四〇)の添付資料1の右銀行口座の入出金状況の記載は昭和六一年以降についてであって、昭和六〇年以前のハワイにおける被告人名義の銀行口座の有無及び入出金状況は証拠上明らかでない。また、ファースト・ハワイアン銀行の被告人の妻I名義の口座についても、昭和六〇年四月のシーザースパレスへの出金の記載が一件あるだけで、昭和五九年以前の入出金状況は不明である。他方、前記(一)(2)で認定したように被告人は昭和五九年一一月ころ大勝したと認められるところ、その際獲得した金がどのように処理されたのかは不明で、検察官主張のようにハワイの銀行の口座に入金されたとの証拠はなく、被告人が賭博で得た金の大部分を日本に持ち込んだ可能性を全面的に否定することはできない。

(3) 検察官は、被告人の賭博ツアーに多数回日本から同行した中村成金が、帰国の際被告人からウイスキーをもらったことはあるが、それを日本に帰国してから被告人に渡すとか届けるということはしたことがない、他の人が洋酒の箱等を持っていってほしいと頼まれているのを見聞きしたこともないと証言していること(第九回公判)、同様に被告人の賭博ツアーに何度か同行した松井功も検察官に対し同様の供述をしていること(甲八一。抄本)等を根拠として、賭博で得た金を日本に運び込んだとの被告人の供述は信用できないと主張する。

しかし、右証言等によれば、被告人の賭博ツアーに初めて同行したのは、中村成金が昭和六一年五月、松井功が昭和六一年一月と、いずれも第二の送金時以後であることが認められ、これらの証言等は、その前にも被告人の供述するような方法による現金の日本への持込みがなかったことを直接裏付けるものではない。

他方、上田透(第一九回公判)及び竹内豊(第二〇回公判)は、それぞれ被告人が賭博で得た金をウイスキーの箱や布袋に入れてハワイに運んでいたとの趣旨の証言をするが、右各証人はハワイやラスベガスに在住する者であって賭博ツアーに日本から同行した者ではなく、また、ハワイの銀行の被告人名義の口座の入出金状況も併せ考慮すると、右両名の証言をもって、賭博で得た金が更にハワイから日本に運び込まれたと推認することはできない。また、被告人のおいに当たるGは、被告人のラスベガスへの賭博ツアーに同行した際被告人に頼まれて現金の入った洋酒の箱の入った布袋を日本に持ち込んだことがあると証言している(第二一回、第四〇回公判)が、同証人は検察官の取調べに対しては、被告人から洋酒等の箱を日本まで持ち帰るように言われたことはないし、他の人に頼んで日本に持ち帰らせたこともないなどと全く逆の供述をしているところ(甲一〇〇)、そのような供述の変遷について何ら合理的な説明はなく、同人の右証言を直ちに信用することはできない。

(4) 結局、ハワイの銀行の被告人名義の口座等の入出金状況、関係者の各証言及び供述は決め手とはならず、被告人が賭博で得た金を日本に持ち込んだことを裏付ける証拠はないが、逆に持ち込まなかったことを証明する証拠もないというべきである。

(三) 以上検討したところによれば、本件各送金当時までのラスベガスでの被告人の賭博の勝ち負けの状況は必ずしも明確ではなく、右各時点で賭博による利得がなお相当額残っていた可能性がある上、従前賭博で勝って得た金を日本に持ち込んでいた可能性を全面的に否定することもできない。

4  さらに、以下のとおり、被告人が、ラスベガスでの賭博で得た金に限らず、森学園のものであると断定することができない高額の現金を理事長室等に所持していた可能性も否定できないというべきである。

(一) 被告人の公判供述(第三六回、第五〇回、第五一回公判等)、B(甲八七)、D(甲五六)、眞井武壽(甲五九、七七)、石渡誠(第二九回公判)、稲垣弘道(甲六二)、I(甲七五)及び齋藤文一(甲六〇)等森学園の関係者あるいは関係者であった者、上山ウメ子(甲二一)、大森正嘉(甲五五)及び緑川正博(甲五三)等森学園の税務・会計処理に携わった者並びに山崎日出幸(第四回公判)等森学園と取引のあった者等の各証言及び各検察官調書並びに森学園の帳簿関係書類等の経理、取引関係の証拠(各総勘定元帳(甲一二九、一三二、一三三。前同押号の21ないし23、各報告書(甲六七ないし六九、一三五)、申述書等写し(弁五八))等を総合すれば、被告人は、昭和五五年に森学園が設立された当初から、理事長として、森学園の現金及び預金の管理並びに小切手の振出しを含む金銭出納及び経理等の業務の全般を統括し、現実の金銭の出納及び管理についても、学園運営のための事務的な少額の支払関係を除き、被告人自身がこれを行っていたこと、被告人は、後記第三の三1で述べるように、法人設立の当初から、森学園の寄附行為で定められた理事会等をほとんど開催することなく、経理処理上必要な手続をしないまま独断で森学園所有の不動産等を担保にするなどして森学園名義や被告人個人の名義等で金融機関に限らず様々なところから高額の金員を借りて不動産、株式等の投資を行い、その取引や現金等の授受の場所として理事長室が使われることもあったこと、昭和六〇年ころから右投資が更に拡大し、高額化したこと、そのため、決算時の帳簿や決算書類の作成の段階で高額の使途不明金が多数生じ、書類が不十分で被告人からも十分な説明が得られなかったため、税理士や会計事務所の事務員の調査等によっても最終的にその内容が明らかとならなかったものも多く、それらの使途不明金は被告人への貸付金といった名目で処理されていたこと、さらに、税務署との間でも、購入物件に関し、購入者が被告人個人なのか森学園なのかを巡って種々問題が生じたことが認められる(なお、緑川正博の検察官調書(甲五三)及び被告人の検察官調書(乙一)には、被告人名義で借り入れたものも森学園の借入れであるとの趣旨の供述があるが、具体性を欠き、右で述べたような事情及び後記第二の二2で述べるように被告人個人の借入れの可能性のある一億円の借入れが現実になされていることからすると、被告人名義の借入れがすべて森学園の借入れであるということはできない。)。

(二) 右のような事実に照らすと、被告人は、被告人自身の借入れなのか、森学園の借入れなのかを明確に区別しないまま高額の金員を借り入れてこれを運用して投資を繰り返していたもので、その過程で被告人個人の現金とも森学園の現金とも明らかでない現金が理事長室等に持ち込まれて保管されるということは十分考えられるところであり、その額が一時的に数千万から億単位あるいはそれ以上になったとしても、特段不自然だとはいえない。この点につき、秘書として理事長室で勤務していたBは、理事長室には金庫の中の現金のほかに、スチール製の本棚の引き戸の中や応接セットのいすの裏等に、現金が数千万円入っていると思われるデパートやホテルの紙袋が置かれているのを何度か目撃したこと、時期ははっきりしないが被告人の指示で約五〇〇〇万円の現金を束ねる作業をしたことがあるが、右現金の大部分には帯封がなく、また、帯封があったものも取引関係のない朝鮮銀行のものであったと証言しているところ、前記(一)で認定したところに照らすと、このような証言を不自然、不合理として排斥することはできず、また、被告人は、公判廷において、韓国でも賭博をしたと供述しているところ、このことは関係者の各証言等や回答書(甲六四)によって認められる被告人の韓国への出入国状況からも裏付けられており(右回答書によれば、昭和六〇年は、第一の送金時である同年一一月一二日以前に三回韓国に渡航していることが認められる。)、韓国での賭博で得た金を持ち帰って置いていた可能性も考えられる。

そうすると森学園のものであるとは断定できない高額の現金の入った紙袋が理事長室等に存在した可能性があり、そのような現金が本件各送金に充てられた可能性を否定することはできないというべきである。

七 結論

1  以上の検討によれば、結局、被告人の指示により前記各払戻しがされたこと及び被告人が本件裏金を受け取ったことが認められるものの、払い戻された現金はCへの貸付けに充てられた可能性があり、また、本件裏金については、その使途が不明であるとはいえ、もともと第一の送金との時間的接着性が弱い上、これら以外の現金が本件各送金に充てられた可能性があり、しかも、その金員が森学園のものではなく、被告人個人のものである疑いを否定できないというべきである。

2  第二の送金における送金額のうち端数六八万円の原資については、検察官は、被告人が保管していた学園の現金が充てられたと主張するのみで、何ら具体的な根拠を示していないが、以上述べたところから、右六八万円についても、学園の金員が充てられたと認定するには合理的な疑いが残る。

3  よって、平成三年五月三〇日付け起訴状記載の公訴事実第一及び第二については、被告人が森学園の金員を送金した可能性は否定できないものの、そのように認定することについてはなお合理的な疑いがあり、結局、犯罪の証明がないことに帰する。

第二  平成三年五月三〇日付け起訴状記載の公訴事実第三について

一  公訴事実の要旨及び弁護人の主張

1 右公訴事実の要旨は、

被告人は、森学園の理事長として森学園の現金及び預金の管理並びに小切手の振出しを含む金銭出納及び経理等の業務全般を統括していたものであるが、昭和六二年一二月三一日ころ、ラスベガスヒルトンの従業員に、森学園のため業務上預かり保管中の株式会社北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という。)渋谷支店長鈴木陸雄振出名義の額面六〇〇〇万円の自己あて小切手(以下「本件自己あて小切手」という。)一通をほしいままに自己の用途に充てるため交付して横領する(第三の一)とともに、任務に背き、自己の利益を図る目的で、同従業員に学校法人森学園理事長甲野太郎振出名義の額面六〇〇〇万円の小切手(以下「本件森学園小切手」という。)を交付して、森学園に財産上の損害を与えた(第三の二)

というものである。

2 これに対し、弁護人は、被告人が昭和六二年一二月末から昭和六三年一月初めにかけてラスベガスヒルトンでバカラ賭博をした際、本件自己あて小切手及び本件森学園小切手(以下、これらを「本件各小切手」と総称する。)を携えていったが、本件各小切手を同ホテルのカジノの従業員に見せてそのコピーを取らせただけであって、交付はしておらず、また、その取組原資及び支払原資は、被告人名義のゴルフ会員権を担保に被告人個人が都市資源開発株式会社(現商号「株式会社ユーアールディ」。以下「都市資源開発」という。)から融資を受けた一億円と被告人の手持ち金二〇〇〇万円であると主張し、被告人も公判廷でこれに沿う供述をしている。

二  本件各小切手の取組原資及び支払原資について

1 問題点

関係各証拠によれば、被告人は、昭和六二年一二月二六日、拓銀渋谷支店において本件自己あて小切手を受け取ったこと、被告人は、これに先立ち、都市資源開発代表取締役J(以下「J」という。)に一億円の融資を申し込み、同月二五日ころ、同社振出しの額面一億円の小切手一通(以下「都市資源開発の小切手」という。)を受領し(以下「本件借入れ」という。)、翌二六日、右小切手を拓銀渋谷支店の森学園名義の当座預金口座に入金したこと、右小切手は、同月二八日に決済されたこと、が認められ、銀行は交換決済日未到来の他店券を裏付資金として自己あて小切手を発行することはないこと、現に、右自己あて小切手の取組は、同支店の当座勘定元帳上、同月二六日に株式売却代金の一部として前記当座預金口座に振り込まれた一億三四四九万円余りの預金を元にしてなされていることからすると、本件自己あて小切手の振出し時点においては、都市資源開発の小切手による入金はその取組原資とはなり得ないことが明らかである。

この点につき、弁護人は、被告人は、同月二五日に拓銀渋谷支店に都市資源開発の小切手を振り込み、これが同月二六日には交換に回って現金化されていると信じ込んでいたとして、本件自己あて小切手の交付を受けた時点で、被告人にはその取組原資が森学園の金員であることの認識がなかったかのように主張するが、被告人は、公判廷において、本件借入れは銀行の自己あて小切手でもらうところを都市資源開発側のミスで普通の小切手になり、すぐに現金化されなくなったため、同月二六日の本件自己あて小切手の振出しに関する被告人と拓銀渋谷支店との間の交渉過程においては、同支店から都市資源開発の小切手の支払場所である協和銀行渋谷支店に対し、都市資源開発名義の当座預金口座の残高照会をするなどの調査をし、右小切手が間違いなく決済されるであろうことを確認してもらった上で本件自己あて小切手を振り出してもらった旨供述しており(第三二回公判)、被告人が、本件自己あて小切手の交付を受けた時点で都市資源開発の小切手がまだ現金化されていないことを認識していたことは、明らかである。

しかし、前記公訴事実第三記載の実行行為は、同月三一日ころ(日本時間)被告人が本件各小切手をラスベガスヒルトンの従業員に交付した行為であり、それ以前の同月二八日には、都市資源開発の小切手が決済されて一億円が森学園の当座預金口座に入金されているのであるから、本件借入れが被告人個人としての借入れであるとすると、結局、被告人が直ちに補てんする意思で森学園の金員を一時流用して本件自己あて小切手を振り出してもらった後被告人個人の金員によってその取組原資が実質的に補てんされたことになり、その結果、被告人において本件自己あて小切手をラスベガスヒルトンの従業員に交付したとしても、右実行行為の時点では本件自己あて小切手は被告人において自由に処分し得るものになっていたとみることができる。なお、本件各小切手の額面の合計金額は一億二〇〇〇万円であって、一億円ではその全額を補てんするには足りないが、一億円のうち六〇〇〇万円を取組原資として本件自己あて小切手を振り出してもらったとの被告人の前記供述、自己あて小切手については、振り出された時点でその取組原資が別段預金として銀行側に確保されてしまい、当該預金を自由に使用することができなくなること等を考慮すると、右一億円は、まず本件自己あて小切手の取組原資に充てられたとみるのが合理的である。

また、本件森学園小切手に関しても、右実行行為の時点でその支払原資として残額の四〇〇〇万円が入金されていたとすると、同様にして、全体財産に対する罪である背任罪の成立範囲が問題となる。

2 検討

そこで、本件借入れが被告人個人としての借入れであるかどうかについて検討する。

(一) 弁護人は、本件借入れの際の契約書の作成については、昭和六二年九月三〇日付けの森学園の都市資源開発からの二億円の借入れに関する抵当権設定消費貸借契約書(以下「本件契約書」という。)を流用して、その金額を三億円と訂正する方法をとっているが、本件借入れは、被告人名義の東京読売カントリークラブのゴルフ会員権(以下「読売ゴルフ会員権」という。)を担保として被告人個人が借り入れたものであると主張するところ、関係各証拠によれば、同年九月三〇日に森学園が都市資源開発から二億円を借り入れており(報告書(甲一五四)及び各関係者の供述。なお、これが森学園の借入れであることは争いがない。)、その際は森学園名義の領収証、森学園振出しの約束手形が都市資源開発側に交付されているところ、本件借入れについても同様に、森学園名義の領収証、森学園振出しの一億円の約束手形が交付されていること、また、本件借入れは、都市資源開発の経理上は森学園への貸付けとして処理されており(各報告書(甲一三九、一五四))、森学園の総勘定元帳においても、本件自己あて小切手作成の取組原資のための出金六〇〇〇万円は「先生預け」との形で森学園から被告人に出金された扱いになっていること(甲一三三。前同押号の23)、が認められる。これら契約書類の作成状況及び右のような都市資源開発及び森学園双方の経理処理状況等をみる限り、本件借入れは、都市資源開発及び森学園のいずれにおいても、経理上は森学園の借入れとして処理されていることが認められる。

そして、検察官は、右事実はいずれも本件借入れが森学園の借入れであることの証左であり、他方、弁護人が被告人個人の借入れの根拠として主張している被告人の公判供述及びこれに符節を合わせた都市資源開発関係者らの証言は極めて信用性が乏しく、また、本件借入れに対する手帳の記載は虚偽であって、本件借入れは森学園の借入れであったと認められると主張する。

(二) 関係各証拠の内容等は、以下のとおりである。

(1) 借入金額三億円の抵当権設定消費貸借契約書(以下「訂正後の本件契約書」という。)の写し(甲一三九添付(弁二五は、最後の何も記載のないページが省略されているが、全く同じものである。))

全体として七ページからなる(ただし、七ページ目には何も記載はない。)が、その一ページ目には「抵当権設定金銭消費貸借契約書」とあり、作成日付と認められる「昭和62年9月30日」の記載に続いて「都市資源開発株式会社御中」とあり、債務者兼担保提供者の欄は空白であるが森学園の実印が押され、その下の連帯保証人欄に森学園(理事長甲野太郎)の記名印が押され、さらにその下の連帯保証人欄に被告人個人の住所、氏名が手書きされ、その横に「甲野太郎」と刻した被告人の実印が押され、借入金元本欄は「弐億」の記載に二本線が引かれてその上に前記森学園の実印及び「森」と刻した森学園の銀行印が押されて「参億円也」と訂正されており、返済期日が昭和六三年六月二八日限りの一括返済との記載があるほか、左上隅に一〇万円の収入印紙が張られ、右森学園の実印及び右被告人の実印で消印がされており、最後に不動産目録が添付されている。

報告書(甲一五六)添付の抵当権設定金銭消費貸借契約書の写し(ただし、一、二ページ目のみ)の少なくとも一ページ目は、前記二億円の貸付けの際作成された本件契約書を機械複写したものであると認められ、これと訂正後の本件契約書の写し(報告書(甲一三九)添付)とを比較すると、訂正後の本件契約書は、本件契約書の金額欄を前記のとおり訂正し、かつ、返済期限等について、昭和六二年一二月二八日限りの一括返済となっていた本件契約書の記載の一部を塗りつぶした上前記のように改ざんしたものと認められる(二ページ目については、報告書(甲一五六)添付の抵当権設定金銭消費貸借契約書の写しと報告書(甲一三九)添付の訂正後の本件契約書の写しとの作成の先後及び経緯は不明である。)が、報告書(甲一三九)添付の訂正後の本件契約書の写しは、捜査段階において都市資源開発から提出された資料を複写したものであり、被告人が保釈後に改ざんした可能性は全くない。

(2) 一九八七年(昭和六二年)の手帳(弁二九。前同押号の4)の一二月二三日及び同月二五日の欄の記載

右手帳には、いずれもBが赤色ボールペンで書いたと思われる字で、一二月二三日の欄に「12/25(金)個人借入れの件でTEL K氏 預手と横線ナシの件」と、同月二五日の左側の欄に「10:30amJ社長訪問」、同日の右側の欄に「J氏会社持参(個人借入の件) 1東京よみうりの会員券 2個人印鑑証明3通 3個人実印 書類は前回分を流用」と、それぞれ記載されている。なお、右の「東京よみうりの会員券」は、読売ゴルフ会員権を指すものと認められる。

(3) 被告人の公判供述(第一二回、第三二回、第五一回公判等)

被告人は、公判廷において、本件借入れは、昭和六二年一二月末から昭和六三年初めにかけてのラスベガスヒルトンにおけるバカラ賭博の資金とするために、被告人個人が被告人名義の読売ゴルフ会員権を担保に借り入れたものであるが、その契約書類は、昭和六二年九月三〇日森学園が都市資源開発から二億円を借り入れた際に作成した本件契約書を流用することになった、本件借り入れの際には都市資源開発側から社長のJと経理担当者のK(以下「K」という。)が立ち会った、本件契約書の金額の訂正印のうち左側は森学園の実印、「森」の印は森学園の銀行印であり、訂正印はいずれも契約当日ではなく、後日森学園で押したと思う、手帳の記載はKから当日本件契約書の内容を変更訂正するために持参すべきものとして指示があったものを秘書のBが被告人の手帳に記載したものである、と供述している。なお、被告人は、当初においては、本件契約書には、二億円借入れ時には森学園の記名印及び実印しかなかった、本件借入れの際、本件契約書の借入金元本欄の金額を訂正するとともに、連帯保証人欄に被告人個人の住所と氏名を書いて被告人個人の実印を押した、と供述していた(第三二回公判)が、その後第五〇回公判に至って、検察官から訂正前のものとみられる前記抵当権設定金銭消費貸借契約書の写し(報告書(甲一五六)添付)が提出され、そこには借入金元本欄の金額が訂正されていないにもかかわらず、変更後の本件契約書と同様に連帯保証人欄に被告人の住所、氏名の記載及び印影があったため、当初から連帯保証人欄に署名、押印はしていたが、本件借入れの際金額だけを訂正したと供述を変更し、従前の供述は訂正後の本件契約書の写しと手帳の前記記載を見ただけであったために勘違いをしたと弁解している(第五一回公判)。

(4) Jの証言(第一五回公判)

都市資源開発の代表取締役であったJは、被告人とは個人的に親しい友人である、被告人から一億円融資の申入れがあり、昭和六二年一二月二五日に被告人に額面一億円の都市資源開発の小切手を渡した、被告人の方から読売ゴルフ会員権を担保に提供する旨の申入れがあり、右会員権に関する書類を預かった、以前の森学園に対する二億円の貸付けの際作成した本件契約書を流用した、本件契約書を作成した時には被告人の署名押印はなく、本件借入れの際に本件契約書に被告人の署名押印をもらった、と証言している。

(5) Kの証言(第一八回公判)

都市資源開発の経理部長であったKは、都市資源開発の経理担当者として本件借入れに関与した、被告人個人の署名とその名下の押印は、二億円を貸し付けた昭和六二年九月三〇日ではなく、一億円を被告人に融資した同年一二月二五日にしてもらったと思う、一億円の用途は聞いていない、本件契約書を流用したのは印紙代を節約するためである、債務者兼担保提供者の欄は空白であるかのようだが、そこに森学園の記名印を押すべきところを誤って連帯保証人欄に押してしまったものである、本件借入れの際読売ゴルフ会員権を担保に預かった、本件借入れに際して持参すべきものなどを指示したかどうか覚えていないが、印鑑証明書が三通必要だと言ったとすれば、一通はゴルフ会員権の譲渡手続をするため、一通は流用した本件契約書に添付するため、もう一通は予備のためだと思う、被告人個人の実印は、譲渡関係書類や本件契約書に押印するために必要だったのだと思う、二億円から三億円への訂正印は後日押してもらったかもしれない、物件目録記載の物件に実際に抵当権を設定してはいないし、読売ゴルフ会員権についても法的な権利保全の手続はしていない、本件契約書の原本及び読売ゴルフ会員権に関する書類は三億円を返済してもらったときに返却した、と証言している。

(6) Bの証言(第一六回公判)

Bは、本件借入れに関する手帳の前記記載について、いずれも自分の字であり、当時の具体的なことは覚えていないが、一二月二三日の欄については被告人の外出中にKから電話を受けて被告人に伝えた後に書いたか、被告人の指示で書いたかのいずれかだと思う、一二月二五日の欄の右側部分については、被告人から記入しておいてほしいという指示があって記入したのだと思う、後日になって過去のことを記載したことはない、と証言している。

(三) 読売ゴルフ会員権の帰属について

被告人は、公判廷において、読売ゴルフ会員権は、当初森学園の金員で購入したが、昭和六一年度の税務調査の際渋谷税務署の指摘を受けて、被告人個人のものとすることになり、被告人が森学園に購入代金を返済していくことになったもので、本件借入れ当時は被告人個人のものとされていたと供述するところ(第三五回、第五〇回公判)、右公判供述、報告書(甲一三五)、申述書等写し(弁五八)によれば、渋谷税務署の昭和六三年度の税務調査の際、同税務署の指導により、従前森学園が購入したとして経理処理されていたホテル・オークラのヘルスクラブ会員権(二六四万円)、喜連川カントリー倶楽部の会員権(一〇〇〇万円)を被告人個人が購入したものとし、他方、従前被告人個人が購入したとされて、その購入資金を森学園から被告人への短期貸付金(一二〇〇万円)として経理処理されていた読売ゴルフ会員権を森学園が購入したものとしたことが認められ、右によれば、本件借入れがなされた昭和六二年一二月当時は、読売ゴルフ会員権が被告人個人のものとされていたことになる。

(四) 手帳の前記記載の信用性

手帳の提出経緯等について不自然な点があるものの、そのことのみをもって手帳の記載が直ちに信用性を失うものではないことは、前記第一の四3、4で述べたとおりであり、本件借入れに関する記載の信用性について、更に検討する。

(1) 手帳の他の借入れ関係の記載との対比

本件借入れ以外の金銭の関係する契約又は金銭の支払に関すると思われる手帳の記載は、第一の四3(二)に摘示したように比較的簡潔なものにとどまっており(報告書(甲一五四)添付の森学園関連融資の一覧表で認められる都市資源開発の森学園に対する貸付けに対応する可能性のある記載(昭和六〇年六月二八日付けの融資に関する可能性のある同月二七日欄の記載、昭和六一年九月二五日付けの融資に関する可能性のある同日欄の記載、同年一〇月七日付けの融資に関する可能性のある同日欄の記載、昭和六二年九月三〇日付けの融資に関する可能性のある同月二九日欄及び同月三〇日欄の記載等)についても同様である。)、本件借入れに関する記載のように詳しく、とりわけ特に「個人借入」と断ったり、持参すべきものを列挙したような記載はほかになく、本件借入れに関する記載は他の借入れ関係の記載と比べて著しく異なっているといわざるを得ない。

そこでこのような記載がされる可能性について検討するに、「個人借入」の文言は昭和六二年一二月二三日の欄及び同月二五日の欄の双方に記載されているところ、Bの証言を前提とすると、Kか被告人かどちらかあるいは双方から「個人借入れ」の言葉が出てBがこれを書き留めたことになると思われる。ところで、第一の六4で認定したように、被告人は被告人個人の借入れと森学園の借入れとを明確に区別することなく多額の借入れを行って投資を繰り返していたものであり、また、前記のように手帳の記載で個人借入れと断ったものはほかにないことから、被告人が記載内容を指示するに当たって特に個人借入れであることを指示することは、通常は考えにくいところである。また、都市資源開発側にしても森学園理事長である被告人に貸し付けるとの認識であって(Jの証言(第一五回公判))、借主が被告人個人なのか森学園なのかを重視していたとは思われないから(J、Kの両名とも用途は聞いていないと証言している。)、被告人の申出がないのにKから被告人個人の借入れであることを断って連絡したとも考えにくい。しかし、被告人は、本件借入れは当初から賭博の資金として借りたものであると供述しており、そうすると、さすがに賭博に使う金員については森学園の借入れと区別しようとの意識が働き、被告人個人の読売ゴルフ会員権を担保にするとともに、被告人個人の借入れであることを都市資源開発側に伝えたか、Bに手帳への記載を指示した時にその旨述べたと考えられなくはない。

なお、検察官は、印鑑証明等の準備の要求が数日前になされたというのであれば、借入れ当日である昭和六二年一二月二五日の欄に記載があること自体不自然であると主張するが、記載目的に照らし、むしろ同日の欄に記載する方が自然であるといえる。

(2) Bのダイアリーとの比較

Bが秘書として作成していた一九八七年(昭和六二年)のダイアリー(甲一二四(前同押号の18)はその写し)の記載を手帳の記載と対比すると、右ダイアリーには、昭和六二年一二月二五日の欄に「10:30amJ社長」とある以外、手帳に対応する記載のないことが認められる。

この点につき、検察官は、被告人が電話を受けた場合は被告人自身が手帳に記載すれば足りるし、他方Bが電話を受けた場合は必ずダイアリーと手帳に同じ内容の記載をするはずであるとして、Bの手で、被告人の手帳に限って詳細な記載があって、Bのダイアリーに全くその関係の記載がないというのは理解し難いとし、結局、ダイアリーの写しは被告人の保釈前に差し押さえられていたため、保釈後これに工作を加えることができなかったことから、自己の弁解の根拠とすべくBに指示して手帳に前記のような記載をさせたものと考えるほかに両者の違いを説明し難いと主張する。しかし、Bの証言(第一六回)によれば、Bは被告人が授業中であるときなどに手帳を借りて記入していたとのことであり、Bがそのようなときに電話を受けるなどした場合には、まず手帳に記入した上ダイアリーに必要な事項のみを転記することが十分考えられるほか、被告人が電話を受けた場合に、Bに内容を口授して手帳に記入させることも考えられ、さらに電話とは関係なく被告人が必要と考えた事項をBに指示して手帳に記入させることも考えられる。実際、ダイアリーの記載と手帳のBが書いたとみられる記載を比較すると、両者の記載が一致しているところが多いものの、手帳の昭和六二年一二月七日の欄に「5:00p.m.菊地支店長」、同月一一日の欄に「9:30am.三菱B/K漆畑氏より車にTEL有」とのいずれもBが書いたとみられる記載があるが、ダイアリーにはこれに対応する記載がないなど、手帳だけにBが書いたとみられる記載があるものも少なくなく、手帳のBによる記載とダイアリーの記載が常に一致していなければならないことを前提とする検察官の主張はやや無理があると思われる。

(3) 本件契約書との整合性

被告人の公判供述及びKら関係者の証言によれば、契約書の流用はあらかじめ決まっていたというのであるから、Kから当日持参すべきものについて事前に連絡があり、その内容を手帳に書き込んだというのであれば、その中に被告人個人の実印のほか森学園の実印が当然掲げられてしかるべきであるのに手帳にその旨の記載がないのは不可解というほかないが、何らかの手違いの可能性も一概に否定することはできない。

また、被告人が手帳の記載どおり被告人個人の実印を持って行ったとすると、訂正した箇所に被告人個人の実印だけでも押しておくことが考えられるが、森学園の実印もそろった時点で後日まとめて押すことになったとしても必ずしも不自然ではなく、被告人及びKが後日訂正印を押したと供述していることが不合理とはいえない(もっとも、現実に押されている訂正印が被告人個人の実印ではなく森学園の銀行印であることの経緯は不明である。)。

さらに、手帳には印鑑証明書三通を用意するよう記載されているところ、被告人の印鑑証明書は既に当初の契約書を作成した際提出されていると思われるから、本件契約書の訂正に限れば被告人の印鑑証明書はいらないことになるが、読売ゴルフ会員権を担保にしたとすれば、右会員権の譲渡のために必要な書類をあらかじめそろえておくために印鑑証明書が必要であったと考えられ、その通数はともかく、手帳の印鑑証明書に関する記載は必ずしも不合理なものではない(なお、被告人は、本件借入れ当日、三通も印鑑証明書を持ってくる必要がないのにそのように指示したことでJがKをしかったことがあったと供述している(第三二回公判)。)。

(4) 結局、本件借入れに関する手帳の記載についても、手帳の提出経緯等について前記のような不自然な点があるものの、後日改ざんされたものとまではいえない。

(五) そして、J、Kも本件借入れの担保として読売ゴルフ会員権が差し入れられたと証言するところ、その証言内容は、担保を要求するつもりはなかったが、被告人の方から預かってもらいたいと言われた(J証言(第一五回公判))というもので、虚偽とみるにはやや具体性があり、被告人の公判供述及び手帳の前記記載をも併せ考えると、本件借入れに当たって、被告人個人に属する読売ゴルフ会員権が担保として提供された可能性を否定することはできない。

もっとも、各報告書(甲一三九、一五四)添付の本件借入れに関する都市資源開発側の内部資料の中には、読売ゴルフ会員権を担保として預かったことの記載やその預かり証を発行したと思うとのJの証言を裏付ける資料が見当たらないが、そもそも、前記二億円の借入れに関しても、債務者欄が空白の契約書をそのまま使用し、担保として提供された不動産に抵当権を設定せず放置し、さらには、本件借入れが被告人個人の借入れか森学園の借入れかはともかく、本件借入れについて従前の契約書を流用し(訂正後の本件契約書写しが被告人の保釈後改ざんされたものでないことは、前記(二)(1)のとおりである。)、しかも被告人の訂正印が契約書の被告人名下の印と異なっているなど、都市資源開発からの借入れについては種々ずさんな点が認められ、右のような記載や書類がないからといって直ちに読売ゴルフ会員権が担保として提供されなかったとみることはできない。

検察官は、複数回にわたるいずれも億単位の金銭の貸借について、従前の契約書をこれとは別の貸借に流用すること自体不可解であり、しかも森学園、被告人個人とそれぞれ貸付先が異なるにもかかわらず、一通の契約書を使うなど極めてナンセンスで、被告人の供述やJらの証言は信用し難いと主張するが、借主の点はともかく、本件借入れが存在したこと自体は関係各証拠から疑問の余地がない上、前記のとおり、そもそも本件借入れに際しては、返済日を改ざんして従前の契約書を流用するなど通常の貸借では考えられないような極めてずさんな処理がされていることが明らかであり、前記のとおり都市資源開発においては借主が森学園か被告人個人かはもともと重視していなかったことをも併せ考えると、森学園との契約書を被告人個人の借入れに流用することがあり得ないとはいえない。

また、検察官は、個人借入れの根拠として述べられた「本件契約書の被告人の署名、押印は一二月二五日の本件借入れの際に記入した。」との被告人の当初の供述が、訂正前の本件契約書の写し(報告書(甲一五六)添付)の記載に照らし明らかに虚偽であり、これに符節を合わせたJ及びKの各証言も信用できないと主張する。

確かに、被告人の当初の公判供述は、具体的で確信に満ちたものである上、そのことを個人借入れの根拠として述べたもので、それが事実に反することは、当初の供述全体の信用性に疑問を投げかけるものといわなければならない。さらに、右の点についてのJ及びKの各証言が、被告人の従前の誤った供述といずれも符合していることに照らすと、この点について、右証人両名が少なくとも明確な記憶がないにもかかわらず被告人に迎合する証言をした疑いが強い。

しかし、被告人の公判廷での証言態度等に照らすと、被告人にはあいまいなことを断定的に述べるところが多々みられ、一方で、当時手帳に前記記載があったのであれば、その記載から被告人が本件借入れの際に自己の署名、押印をしたのではないかと考え、公判廷における供述としてはそれが断定的な言い方となった可能性がないとはいえない。

(六) 結論

以上によれば、結局、本件借入れについては、経理処理上森学園の借入れとなっており、また、弁護人が被告人個人の借入れの根拠として主張する各証拠には不自然な点がかなりあるものの、他方で、本件借入れが被告人個人の借入れであることと決定的に矛盾する客観的証拠はなく、また、本件借入れに際し当時被告人個人に属するものとされていた読売ゴルフ会員権を担保に提供した可能性を否定できない上、手帳の前記記載も、虚偽記入とは断定できず、本件借入れ当時に被告人の指示に基づきBが記入したとみられる余地が残る以上、本件借入れが被告人個人の借入れであった合理的疑いが残るというべきである。

三  本件各小切手の交付の有無について

1 弁護人の主張

弁護人は、被告人はラスベガスヒルトンで賭博をするに際し本件各小切手を作成して持参したことはあるが、当初から本件各小切手を同ホテル側に交付する目的や意図はなく、実際にも同ホテルのカジノの担当者に見せてそのコピーを取らせただけであって交付はしていないと主張し、被告人も公判廷においてこれに沿う供述をしている。

2 ラスベガスヒルトン関係者の供述内容とその信用性について

(一) 各宣誓供述書の内容

(1) クリフォード・チョイ(以下「チョイ」という。)の宣誓供述書(報告書(甲一一)添付)

本件各小切手の交付に関する同供述書の概要は、以下のとおりである。

自分は、一九八五年(昭和六〇年)四月から一九八八年(昭和六三年)五月までラスベガスヒルトンの副社長兼極東地区担当取締役として極東の客の世話をしていた。シーザースパレスでバカラ賭博をしていた被告人を何度も勧誘し、ラスベガスヒルトンに来てもらうようになった。一九八七年(昭和六二年)一二月三一日、被告人は二通の小切手で九六万ドルのデポジットをした。(本件森学園小切手のコピー(宣誓供述書三一ページには「下にページ番号54と付され、右の角に番号0012-21とある別の文書」とあるが、報告書(甲一一七)別紙一〈54〉との対比から右コピーであることは明らかである。)を示されて)二通の小切手の一つである。もう一つは日本の銀行小切手であった。銀行には取立てに回していない。一通の小切手については東京の被告人の事務所で日本円で支払を受けた。もう一通の小切手については、被告人は、遅れて三〇〇〇万円支払い、残りは翌月払うと約束したが支払わなかった。受け取った金を二月から六〇〇〇万円、四月に三〇〇〇万円、ラスベガスヒルトンに電信(為替)で送金した。銀行に取立てに回したかったが、被告人は取立てはするなと言った。被告人は損をし、日本に帰ったときに金を渡すと言った。最初の小切手は自分が被告人に渡した。(「被告人があなたにすべての金を渡さないのに被告人に二番目の小切手を渡した理由は何ですか?」の問いに対し)一九八八年四月一七日に被告人と被告人の事務所で会ったときに小切手を持って行った。被告人はそれを引き裂いた。被告人は同月二二日に三〇〇〇万円支払った。

(2) ロバート・コチンスキー(以下「コチンスキー」という。)の宣誓供述書(甲九八。添付の翻訳報告書を除く。訳文は報告書(甲一一五)添付)

本件各小切手の交付に関する同供述書の概要は、以下のとおりである。

自分は、ヒルトン・ネバダ・コーポレイションの財務部門担当副社長である。(「T・モリの旅行結果概要書」を見せられて)ラスベガスヒルトンのホールドに四七万八〇〇〇ドルの未済小切手がある。小切手の原本は被告人に返した。一九八七年一二月三一日に被告人は総額九六万ドル分の小切手を振り出した。ラスベガスヒルトンはその小切手を被告人の勘定に入れて未払額を減少した。それから小切手をホールドと呼んでいるところに振り替えた。それらの小切手は被告人から取立てに回さないでほしいと言われ、操作上ホールドの状態にしておいた。一九八八年四月二八日の二一万ドルの電信送金は小切手九六万ドルの一部の支払のためである。チョイは小切手を持って東京に行ったが、支払を受けることもなく、また、小切手の原本も持たずに東京から戻ってきた。通常、書類の原本をオペレーションから持ち出す場合にはそのコピーをファイルに保存するし、担当者は戻る際に支払か小切手の原本のどちらかを持ち帰ってくる。これらの小切手はデポジットされず、借金の支払のためラスベガスヒルトンに交付された。

(3) C・A・ジャコビ(以下「ジャコビ」という。)の宣誓供述書(甲九九。添付の翻訳報告書を除く。訳文は報告書(甲一一六)添付)

本件各小切手の交付に関する同供述書の概要は、以下のとおりである。

自分は、一九八五年一月から、ラスベガスヒルトンのカジノケージマネージャーとしてカジノケージを通る収益活動のすべてを管理している。一九八七年一二月三〇日被告人はゲームをするため小切手で九六万ドルを持参しデポジットに入れた。負債に対して入れたのではない。小切手は二枚で、各四八万ドルであった。一九八八年二月二〇日に四八万ドルの支払を受け、一枚の小切手を決済した。同年三月一一日にチョイに取立旅行のため小切手(複数)を交付したが、私はその後小切手の原本も代金も受け取らなかった。自分が管理を任されている書類を渡すときはいかなるときでもコピーをとる。自分はその小切手の責任者で、小切手をチョイの責任下へ渡した。同年四月二八日の電信送金のうち二〇〇〇ドルが小切手の未払残高に充てられた。通常は銀行に取立てに回すが、ホールドしてくれと頼まれたので小切手を同年二月二〇日までホールドした。

(二) 各宣誓供述書の信用性

(1) 弁護人は、右各宣誓供述書はいずれも信用性がないと主張し、その根拠を多々挙げているところ、その要旨(コチンスキー、ジャコビの各宣誓供述書が三二一条一項三号書面として請求された際の弁護人作成の平成八年二月一四日付け「検察官の証拠請求に関する意見書」を含む。)は以下のとおりである。

ア 右各宣誓供述書は、随所で、「非公式の論争」、「非公式の会話」として記録に現れない意見の調整が行われ、また、供述者のために立ち会っている弁護士の介入がある上、質問の前提となる「記録」の内容が不明であったり、誤導、誘導によって供述がまとめられたりしており、「ホールド」、「デポジット」といった専門用語を具体的意味や内容があいまいなまま使用しているなど、供述に至る状況が極めて不明りょうで、供述自体もあいまいである。

イ チョイの宣誓供述書については、チョイは韓国人であって、その英語の能力は必ずしも十分ではないところ、英語による質問を時には韓国語に訳して、これを聞いたチョイが不十分な英語で答えるという極めて意思疎通の難しい状況の中で作成されたものであり、その内容も小切手の内容を特定できていないし、小切手を現に受け取ったのか、ラスベガスヒルトン側に渡したのかどうかについては何ら言及されていない。

ウ コチンスキー、ジャコビの各宣誓供述書については、いずれもラスベガスヒルトン側がどのように小切手を受け取り、だれがいつどのように保管していたのかは一切不明であり、結局、右両名ともコンピュータの記録を見て推測で供述しているにすぎない。

エ ジャコビの宣誓供述書は、一方で「私どもは一九八八年二月二〇日までその小切手(原文は複数)をホールドしました。」(訳文二九ページ)と供述しているにもかかわらず、他方で「取立ての旅行のため、一九八八年三月一一日にチョイに小切手(原文は複数)を交付しました。」(同二四ページ)となっており、ジャコビの供述は、本件各小切手を占有していたのは同年二月二〇日までであるとする一方で本件各小切手を同年三月一一日にチョイに渡したというもので、供述自体矛盾している。

(2) 確かに、右各宣誓供述書には、非公式の会話や弁護士の介入が随所に見られる上、尋問者はアメリカ合衆国の捜査官であり、質問自体が必ずしも日本の検察官の意図したとおり適切になされたとはいえないところもある。また、チョイの英語の能力は明らかでないが、各供述者の返答が明確さを欠いてその趣旨がはっきりしない部分もあり、訳文も直訳的で文法的に不明りょうなところも認められる。さらに、チョイの宣誓供述書中には本件各小切手を現に受け取ったかについて直接明言したところはないし、コチンスキーやジャコビの各宣誓供述書において本件各小切手の具体的な受入れ状況は必ずしも明らかになっていないほか、チョイが二度目の取立てに行った時被告人の支払分として幾らラスベガスヒルトンに送金したのかなどについても供述の食い違いが認められる。

しかし、そのような点はあるものの、各宣誓供述書は、供述全体をみれば、被告人が合計九六万ドル相当の二通の小切手をラスベガスヒルトン側に交付し、ラスベガスヒルトンは被告人に対し九六万ドル分の賭博をすることを認めたこと、被告人が右小切手二通を交付するに当たって銀行に取立てに回さないよう求めたので、ラスベガスヒルトン側は取立てに回さず、留保しておく扱い(ホールド)にしたこと、昭和六三年二月とその後もう一回チョイが賭博で生じた被告人の負債を取り立てるため本件各小切手を持って日本に行き、同年二月に六〇〇〇万円(四八万ドル)を、その後にも一部をそれぞれ取り立ててラスベガスヒルトンに送金したという大筋においては、ほぼ整合しているということができ、かつ、その内容の信用性をゆるがせるような誤導、誘導等は認められない。なお、各宣誓供述書中の記載の趣旨や文脈等からすると、「ホールド」は、取立てに回さないで留保しておく、あるいは取立留保の部門という意味で使われており、また、「デポジット」は、賭博資金として預託する、あるいは預託金の意味で使われていることが認められ、具体的意味、内容があいまいなままであるとの弁護人の主張は必ずしも当を得ているとはいえない。

また、その供述内容に特段不自然、不合理な点はない。すなわち、ラスベガスヒルトンとしては被告人が現金を用意していないにもかかわらず賭博をさせる場合に、被告人が二通の小切手を所持していることが分かっていれば、当然、その原本を預かって賭博の資金として組み入れた上、後日銀行の取立てに回し、あるいは支払交渉の道具として利用しようと考えるのが自然であり、現実に本件各小切手がラスベガスヒルトン側に交付されたからこそ、ラスベガスヒルトン側において、回収可能と判断して、被告人が九六万ドルという高額の金員を賭博の資金とすることを認めたとみるのが合理的である。さらに、三名の各宣誓供述書の内容はラスベガスヒルトン側の被告人の賭博に関する各種資料の「ホールド」すなわち取立留保等の記載や本件自己あて小切手が昭和六三年二月四日になって初めて拓銀渋谷支店の森学園の当座預金口座に入金されている事実(報告書(甲二九))とも整合する。

そして、各宣誓供述者は、それぞれ当時の地位と関与した状況に基づいて供述しており、特にジャコビは直接本件各小切手を管理する立場にあり、チョイへ取立てのため交付したとの供述が単なる推測に基づくものでないことは明らかである。なお、ジャコビの宣誓供述書について弁護人の主張する矛盾点については、昭和六三年二月二〇日に四八万ドルの送金を受けるまで本件各小切手を銀行に取立てに回さなかったという趣旨に理解でき、必ずしも同日まで二通とも占有し同日以降は占有していなかったとの趣旨で述べているとは思われないし、三月一一日の時点では本件自己あて小切手は既に被告人に返還済みであることはほかの部分の供述から認められるから、複数形で述べたのは単なる言い間違いか、あるいは、被告人の交付したものでない他の小切手を含めて取立てのため交付した趣旨とみる余地があり、同人の宣誓供述書の信用性を大きく阻害するものとはいえない。

3 被告人の検察官調書(乙二)とその信用性

(一) 被告人の検察官調書(乙二)の内容

昭和六二年一一月ころ、ラスベガスヒルトンのバカラ関係の総責任者であるジミー・ニューマンから、昭和六三年の新年パーティへの誘いがあったが、当時被告人はラスベガスヒルトンに対し約四〇〇万ドルの債務があり、数箇月前にジミー・ニューマンらとの話合いでそれまでの債務を免除するという約束を得ていたものの、送金しても負債に当てられてしまうのではないかと思い、行くことをためらった。チョイから「現金がなければ銀行振出しの小切手でもいい。森学園の小切手ではどうか。」などと言われ、六〇〇〇万円のパーソナルチェック二通を用意し、予備的に本件各小切手を作成して持参した。ラスベガスヒルトンのバカラテーブルの担当者にまずパーソナルチェック二枚を渡したが、「森学園の小切手か銀行振出しの小切手のどちらかだと聞いている。」と言われて拒否され、やむなく取立てに回さないことを条件に本件各小切手を渡した。取立てに回さないという条件を出したのは、取立てに回されたりすると、銀行からの照会等により賭博のため森学園の小切手を交付したことなどが分かって大変なことになるおそれがあると思ったからである。同行した知人の山崎日出幸(以下「山崎」という。)、中村成金もそれぞれ用意した小切手を渡した。担当者が山崎、中村成金の分も含めて小切手のコピーをとったが、これに銀行に振り込まない、小切手はチョイに返すと書かせて領収証代わりにもらった。チョイに本件各小切手を返してもらえないなら帰ると言うと、チョイは取り戻すと言ってその日か翌日に本件小切手を返してくれたので、日本に持ち帰った。

(二) 右検察官調書の信用性

被告人の右供述のうち被告人が本件各小切手を交付するに至るまでの部分は、その経緯について詳細で十分納得のいくものであり、交付した際の状況についても取立てに回さないよう述べたことやその理由など具体的でラスベガスヒルトン側の関係者の供述とも一致している。また、同行した中村成金らの小切手も一緒に渡したことについては、被告人からバカラをやりたいなら一〇万ドルの小切手を持って来いと言われて一二五〇万円(一〇万ドル相当)の小切手を森学園に持って行った旨の中村成金の証言(第九回)と符合し、ラスベガスヒルトンから入手した書類の中に本件小切手二通のほか山崎日出幸が代表取締役となっている株式会社アルプス振出しの小切手四通(額面各六五〇万円)、中村成金が代表取締役となっている株式会社成金振出しの小切手一通(額面一二五〇万円)のコピーがあること(報告書(甲一四八)添付資料〈3〉一〇三)からも裏付けられ、十分信用できるというべきである。

これに対し、弁護人は、被告人は、右検察官調書中の本件各小切手を渡した旨の記載について異議を述べたものの、巧妙な検察官の誘導により、素人である被告人がその証拠評価を誤って署名したものであると主張し、被告人も公判廷において、取調検察官に被告人がいないところで検察官が勝手に作った調書にサインはできないなどと強く言ったが、自分の言いたいことは裁判で言えばいいと言われ、また、賭博の債務を免除されたという被告人に有利なことが書かれているので署名したなどと供述するが(第三三回公判)、本件各小切手の交付の有無を巡って検察官の取調べが行われ、右検察官調書もその点を中心に記載されていることは明らかであり、被告人も何が重要であるかは十分理解していたと思われる上、被告人は検察官の取調態度に強く反発し、重要なところでは全部黙秘していたというのであり(被告人の公判供述(第三五回公判))、この調書だけ検察官に迎合したとは考えられず、むしろ、そのような態度をとる中で被告人が不利益な事実を自認する右検察官調書に署名したことは、その信用性を高めるものというべきである。

また、弁護人は、右検察官調書の文言は、「渡しました」というに止まり、渡された「担当者」の男女の別や具体的人物像について何らの説明もなく、渡した場所も具体的に記述されておらず、極めて平面的、抽象的なものであって信用できないと主張するが、前述のようにその供述内容は、本件各小切手を渡すまでのやりとり、取立てに回さないように条件をつけたことやその理由等かなり具体的であって、弁護人主張のような点についての詳細な記載がないからといって右調書の信用性が損なわれるものではない。

なお、被告人は右検察官調書の後半において、本件各小切手をその日か翌日にチョイから返してもらい、日本に持ち帰ったと供述しているが、ラスベガスヒルトン関係者らの前記各宣誓供述書に照らすと、右は交付の事実を認めつつも少しでも自己保身を図ろうとした弁解とみるのが相当であり、この点は信用できないというべきである。

4 被告人の公判供述(第一二回、第三一回、第三二回、第三三回、第三九回、第六〇回公判)の内容とその信用性

(一) 被告人の公判供述の趣旨

被告人の公判供述は、パーソナルチェックとともに本件各小切手を持参し、まずパーソナルチェックを提示したが拒否された経緯等は前記検察官調書の供述とほぼ同じであるものの、そこで被告人がカジノから帰る素振りを示したところ、チョイが本件各小切手をコピーして担当者に見せたいと言ってきたため、チョイと事務室へ行き、山崎及び中村成金が持参した小切手と一緒にコピーをとって、その左下に、銀行に渡さない、振り込まないと書かせ、そのまま本件各小切手を持ち帰った、チョイはラスベガスヒルトンには本件各小切手二通を預かっているとうそをつく形になった、保釈後チョイと会ったときにそのことを確認している、チョイがその旨を日本で証言できないのは、宣誓供述で小切手を預かったと言ってしまったので日本の法廷で預かっていないと証言すると偽証罪に問われると心配し、また、昭和六三年四月にチョイが被告人から受け取って送金した三〇〇〇万円をラスベガスヒルトンが不正処理しているため送金の事実を証言するとラスベガスヒルトンから報復を受けることをおそれているためである、というものである。

(二) 右公判供述の信用性

そもそもパーソナルチェックの実物でも駄目であったのに、本件各小切手のコピーという取立て不可能なものを受け取ることでカジノの担当者が納得したとは到底考えられない上、チョイが、発覚すれば解雇されかつ九六万ドルという高額の責任を負担しなくてはならない危険を犯してまで、ラスベガスヒルトンに自分の方で保管するとうそをついて小切手を被告人の手元に残したとも考えにくく、さらに、被告人の右公判供述によれば、被告人は、昭和六三年一月初めに本件各小切手を日本に持ち帰りながら、本件自己あて小切手をチョイの来日後である二月四日まで入金しなかったことになり、その合理的理由は見いだし難い。このように、本件各小切手を交付していないとの被告人の前記公判供述は、不合理、不自然であって、信用できないというべきである。

なお、被告人の挙げるチョイが日本で証言できない理由については、チョイは宣誓供述書において既に三〇〇〇万円の送金の点を供述しており、コチンスキーらラスベガスヒルトンの関係者もラスベガスヒルトンの処理との間に不一致が生じていることを認めているほか、記憶どおりの証言をする限り偽証罪に問われる余地はないのであるから、いずれも、チョイが日本で証言できない理由にはならないというべきである。

5 弁護人のその他の主張について

(一) 弁護人は、報告書(甲三一)添付資料〈2〉(報告書(甲一一七)添付別紙一〈28〉、〈29〉(訳文は同別紙二〈28〉、〈29〉)と同一)によれば、昭和六二年一二月二九日の時点で被告人はラスベガスヒルトンに対し四〇二万ドルの負債を負っていたところ、同月三〇日には負債が九六万ドル増えて四九八万ドルになっており、被告人が本件各小切手を交付していたならば、バカラ賭博をするために九六万ドルを借りる必要はないのであるから、右事実は、被告人のラスベガスヒルトンに対する借入金の増加分の九六万ドルが、本件各小切手によるデポジットでないことを示しており、このことはラスベガスヒルトンが本件各小切手を受け取っていなかったことの証左であると主張する。

しかし、コチンスキーの宣誓供述書によれば、準備金(フロントマネー)へ入金(デポジット)してあれば、未払債務があってもマーカー(賭博資金の貸出票というべきもの)の発行が許可され、後に準備金によってマーカーの支払がなされる旨の記載があるところ、前記報告書(甲三一)添付資料〈1〉(報告書(甲一一七)添付別紙一〈37〉(訳文は同別紙二〈37〉)と同一)によれば、同年一二月三一日には、準備金から九六万ドルが引き出されており、他方、前記報告書(甲三一)添付資料〈2〉によれば、同日支払伝票により九六万ドルの入金があってマーカーの未払残高が減少していることが認められるから、同月三〇日欄の前記両資料の記載については、むしろ、九六万ドルが準備金に入金されたが故にあらたに九六万ドルのマーカーの発行を受けることができた(その結果負債が九六万ドル増えた。)ものと理解できる。そして、右準備金への入金の原資については、右報告書(甲三一)添付資料〈1〉の同月三〇日欄の九六万ドルのデポジットについて「留保」(IN HOLDS)との記載があることにかんがみれば、小切手と無関係な入金と考えるのは不自然であって、小切手自体を入金したが取立てをしない扱いをしたと見るのが最も自然である。仮に、弁護人主張のように、デポジット自体の原資はラスベガスヒルトンからの借入れであったとしても、少なくとも小切手を担保として交付したものと考えないと、右の記載は説明できない。

なお、コチンスキーは、九六万ドルの小切手は預入れ(デポジット)ではなく、借金の支払に充てられた旨供述している箇所がある(同人の宣誓供述書二三頁)が、このときコチンスキーが示されている資料は旅行結果概要書(報告書(甲一一七)添付資料〈3〉。同資料は、その記載内容に照らし、最終的な被告人の負債の明細を明らかにする目的で作成されているものと考えられる。)であって、右資料によれば、計算上は九六万ドルの小切手はそれまでの未払債務の支払に充てられている記載になっていることから、そのような供述になったと推測され、前記認定を左右するものとはいえない。

(二) また、弁護人は、有効な支払呈示期間が経過してしまうにもかかわらず、ラスベガスヒルトン側が翌年二月まで本件各小切手の取立てを留保すること自体不自然、不合理であって、右事実は本件各小切手がラスベガスヒルトンに交付されなかったことを裏付けていると主張する。

しかし、チョイら三名の宣誓供述書によれば、チョイらは、被告人から銀行へ取立てに回さないという条件で本件小切手の交付を受けたのであり、帰国時に被告人から負債は帰国後支払うと言われた上、被告人に今後も客として多額の金員を投入してもらいたいと考えていたことは明らかであるから、被告人の意向を無視して勝手に銀行へ取立てに回すということは考えられないところであって、チョイが被告人から直接取り立てるため昭和六三年二月に来日したときまで本件各小切手を銀行へ取立てに回さなかったことは何ら不自然ではない。

6 小括

以上の検討によれば、被告人が昭和六二年一二月三一日(日本時間)ころ、ラスベガスヒルトンにおいて、バカラ賭博のためのデポジットとして、本件各小切手をホテル側に交付した事実が認められる。

四  結論

1 本件自己あて小切手について

以上の検討結果によれば、被告人が、振出し時点においては森学園の資金を裏付けとしていた本件自己あて小切手を、昭和六二年一二月三一日ころラスベガスヒルトンのカジノの担当者に交付したことは認められるものの、他方、それ以前の同月二八日に被告人が個人的に借り入れた疑いのある都市資源開発の小切手が決済されて一億円が森学園の当座預金口座に入金されたことにより、その取組原資が補てんされ、本件自己あて小切手は被告人が自由に処分し得るものになったとみる余地があるから、本件公訴事実記載の実行行為の時点においては、本件自己あて小切手は、もはや被告人が森学園のため預かり保管中のものとはいえず、その交付について横領罪は成立しないというべきである。

2 本件森学園小切手について

本件森学園小切手がラスベガスヒルトンのカジノの担当者に交付されたこと及び都市資源開発の小切手が決済されたことは1と同様であるが、都市資源開発の小切手が決済されたことにより本件森学園小切手の支払原資となり得るのは四〇〇〇万円にとどまり、本件森学園小切手の額面の全額が入金されたわけではないから、本件森学園小切手が被告人において自由に処分し得るものになったとみる余地はなく、同月三一日ころ被告人が右小切手をバカラ賭博のためラスベガスヒルトンのカジノの担当者に交付した時点において、被告人は森学園の理事長としての任務に背き、自己の利益を図る目的で森学園に小切手債務の負担という財産上の損害を与えたこととなり、本件森学園小切手を交付したことについて、被告人は背任罪の刑責を免れない。しかし、右のとおり、本件森学園小切手を交付した時点において、被告人が個人的に借り入れた疑いのある四〇〇〇万円がその支払原資の一部として既に森学園の当座預金口座に入金されていたとみる余地があり、被告人が森学園に与えた損害額は、結局、右小切手の交付によって森学園が負担した債務六〇〇〇万円との差額二〇〇〇万円にとどまるというべきであるから、この限度において背任罪が成立すると解される。

なお、右のほか、被告人において本件森学園小切手の支払原資をあらかじめ補てんしていたことをうかがわせる証拠はない。

第三  平成三年八月九日付け起訴状記載の各公訴事実について

一  前提事実

被告人が森学園の理事長として同学園の現金、預金の管理を含む金銭出納・経理等の業務全般を統括していたことは、既に認定したところであり、また、前掲各証拠によれば、以下のように右各公訴事実記載の各送金は森学園の金員が原資となっていることが認められ、これらの事実は当事者間においてもほぼ争いのないところである。

1 被告人は、昭和六一年一二月一八日三菱信託銀行株式会社(以下「三菱信託」という。)新宿支店の森学園名義の普通預金口座から森学園の金員一億六四五〇万円を払い戻した上、同日、同支店において、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市カイアリイプレイス所在の土地及び高級住宅(カイアリイ物件ともいうが、以下「ロアリッジ物件」という。)を一〇五万ドルで購入するため、これを同国所在のファースト・ハワイアン・バンクのタイトル・インシュアランス・オブ・ハワイ・インク名義の口座あてに送金した。

2 被告人は、昭和六二年九月二八日三和信用金庫南長崎支店の森学園名義の当座預金口座から森学園の金員二億四六〇〇万円を払い戻した上、同月二九日、三菱信託渋谷支店において、同市カハラ通り所在の土地及び建物(以下「カハラ物件」という。)を一八五万ドルで購入するため、このうち二億四三一七万三二五〇円を同国所在のバンク・オブ・ハワイのロング・アンド・メロン・エスクロー・リミテッド名義の口座あてに送金した。

3 被告人は、同年一一月五日三和信用金庫南長崎支店の森学園が使用するダイキュー株式会社名義の普通預金口座から森学園の金員一億九八八五万八五一〇円を払い戻し、さらに同日拓銀渋谷支店の森学園名義の当座預金口座から森学園の金員二億九六六一万九三六〇円を払い戻した上、同日、同支店において、同市クヒオ通り所在の土地及びアパート(以下「クヒオ物件」という。また、以上三物件を「本件各物件」と総称する。)を三八〇万ドルで取得するため、これらを一括して同国所在のシティ・バンク・ホノルルのアイランド・タイトル・コーポレイション名義の口座あてに送金した。

二  検察官及び弁護人の主張

1 検察官は、森学園の金員を原資とする右各送金は、森学園の資金を流用して被告人の私利を図ったものであり、具体的には、ロアリッジ物件は被告人個人の用途に使用する目的で、カハラ及びクヒオの各物件については、いずれも、被告人自身の利殖を図る目的で、それぞれ購入したものであって、不法領得の意思に基づくものであると主張する。

2 他方、弁護人は、後記大学設立構想を背景に、森学園の資産を確保するとともに森学園の金員をハワイの不動産に投資したもので、学園の利益を図ったものであり、具体的には、ロアリッジ物件は融資獲得のための金融機関関係者及びその家族等の接待に使用する目的で、カハラ物件は同様にこれらの者の接待に使用するいわゆる迎賓館を建設する目的で、クヒオ物件は高級ホテルコンドミニアム(一部ホテル形式、一部コンドミニアム(分譲マンション)形式の建物)を建築し、コンドミニアムの部分を分譲販売するなどして英語教育専門の四年制単科大学を創設するための資金に充てる目的で、それぞれ購入したもので、右各送金はいずれも不法領得の意思を欠くと主張する。

三  本件各物件の取得状況及び利用状況等

1 本件各物件の取得に当たっての理事会決議等について

(一) 森学園は私立専修学校の設置を目的とする法人であって、学校法人の名称を用いることができ、私立学校法の学校法人の規定(第三章)が準用されるが(同法六四条四項、五項、六五条)、森学園の寄附行為(緑川正博の検察官調書(甲五三)添付資料2)も同法の学校法人の規定に準拠して定められているところ、右寄附行為によれば、森学園の業務は理事会で決定することになっており(一三条)、理事会は理事長を含む七人の理事で構成され(一二条二項、五条)、理事会の議事は、原則として理事総数の三分の二以上の理事が出席した上、原則として理事総数の過半数で決することとされ(一二条八項ないし一〇項)、理事会の議事録を作成して備え置くことになっている(一七条)。そして、予算をもって定められたもの以外に、新たに義務を負担し、又は権利を放棄しようとするときは、理事会において、理事総数の三分の二以上の議決を得なければならないとされている(三一条)。また、諮問機関として一五名からなる評議員で構成される評議員会を置き(一八条)、予算、借入金及び基本財産の処分並びに運用財産中の不動産及び積立金の処分、予算外の新たな義務の負担又は権利の放棄等学校法人の運営上の重要事項について、あらかじめ評議員会の意見を聞くことが義務付けられている(一九条)。

(二) 弁護人は、本件各物件の取得に当たっても、理事会を開催し、寄附行為所定の手続を履践していると主張し、被告人は、公判廷において、理事会は、多くの場合持ち回り形式であり、議事録を作成しておいて印を押してもらう場合が多かったほか、議事録の作成については事前に各理事の了解を得て預かっている印鑑で押印するということもあったなどと供述し、理事会が必ずしも寄附行為にのっとったものではなかった(書面の提出により出席とみなされる場合もあるが、そのためには、理事会の付議事項について書面であらかじめ意思を表示しなければならない(寄附行為一二条九項)。)ことを自認しながらも、本件各物件の取得について理事会を開催していると供述している(第一二回、第三六回公判)。

(三) しかし、本件各物件の取得当時森学園の理事であった眞井武壽(甲五九、七七)、石渡誠(第二九回公判)、稲垣弘道(甲六二)及びI(甲七五)、かつて理事であった齋藤文一(甲六〇)並びに森学園事務関係者D(甲五六)及びB(甲八七)の各証言及び各検察官調書を総合すると、森学園においては、寄附行為の規定にかかわらず、理事会は当初から業務の決定機関としての機能を果たしておらず、森学園の業務の実質的な決定はすべて被告人が一人で行っており、作成済みの議事録に各理事が持ち回りで署名したり、各理事から預かって保管していた印や白紙委任状を利用して議事録が作成されるということはあったものの、他の理事らは実質的な決定には関与しておらず、銀行融資等を受けるために便宜的に作成された議事録に形式的に署名をしていたにすぎなかったこと、また、評議員会についてはほとんど開かれた形跡のないことが認められる。

そして、本件各物件の購入についても、当時の理事がこれに関する記憶を全く有しておらず、理事会において実質的な決定をした様子はうかがわれない。

加えて、ロアリッジ物件についてはその取得経緯は明らかでないものの、森学園の昭和六二年三月期の総勘定元帳(甲一三二。前同押号の22)によれば、ロアリッジ物件の購入代金等とみられる一億六四五〇万六一〇〇円の支出は、「仮払金支払支出」科目に疑問符(「?」)を付して記載されており(昭和六一年一二月一八日の欄)、このような経理上の処理に照らすと、理事会の議事録自体も作られていない可能性が高い。

また、カハラ及びクヒオの各物件については、増田俊男(以下「増田」という。)の証言(第七回、第八回公判)及び検察官調書(甲四八。抄本)、回答書(甲六四)によれば、被告人は昭和六二年八月一六日に日本からホノルルに出国し、同年九月五日にホノルルから帰国しているところ、その間のハワイ滞在中に現地で不動産仲介業を営む増田の紹介でカハラ物件を見て直ちに同物件の購入を決めて同年八月二五日に契約書を作成し、その約一週間後にクヒオ物件を見てやはり直ちに購入することにして帰国当日ホノルル空港のラウンジでクヒオ物件の最終的な契約書に署名したことが認められ、これらの各物件購入の決定に当たって理事会の決議を経ている余裕がなかったことは明らかである。

(四) 以上によれば、被告人は本件各物件の取得を決定するに当たっては、理事会を開催することなく、また評議員会に諮ることもせずに、被告人一人の判断で購入を決定し、森学園の金員をそれらの購入資金として海外送金したことが認められる。被告人の公判供述中右認定に反する部分は信用できない。

2 取得名義について

(一) 各報告書(甲九二ないし九四)によれば、ロアリッジ物件については被告人と被告人の妻の共有名義で、カハラ及びクヒオの各物件については被告人の単独所有名義で、それぞれ登記されていることが認められる。

(二) 被告人は、森学園名義で本件各物件の所有権登記をしなかったことについて、公判廷で以下のように供述しており(第一二回、第三四回、第五三回、第五四回公判)、弁護人も被告人の右供述は納得し得るものであると主張する。

(1) 被告人は、昭和五十七、八年ころから、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのパームディルで不動産開発の共同事業を計画したが、その内容は学校法人森学園がパームディルの土地を取得し、ロサンゼルスの不動産関係の会社D・C・Iプロパティー(代表取締役ベイルズ)が右土地上に建売住宅を二百数戸建てて分譲販売するというものであった。被告人は森学園の事業として行うものであるから、土地の購入についても学校法人森学園の名称で行い、森学園が土地の所有者になると考えていたが、ベイルズが住宅建設資金の融資を依頼した銀行から、営利事業を行うのに学校という非営利団体が土地所有者であることは問題があるとクレームがつき、また、ロサンゼルスのグリーンバーグ弁護士に相談したところ、同弁護士から、税法上学校法人も個人も同様に課税の対象になること、また、土地の所有名義を森学園にしておくこと、住宅の分譲後もライアビリティ(責任ないし義務)を森学園が負うことになること、個人と異なり外国法人の場合には、契約の締結や事業認可の取得に当たり、種々の証明文書を提出する必要のあること等のアドバイスを受け、被告人個人名義で登記をした。ただし、カリフォルニア州の法律によって、自動的に被告人の妻も五〇パーセントの所有権を取得することになり、妻にライアビリティが生ずることになるので、妻に右土地の共有持分を放棄させた。

(2) その後、ハワイ州において不動産を取得した際、グリーンバーグ弁護士に相談したところ、税金の問題もライアビリティの問題もアメリカ本土とハワイ州では大した違いはないとのことだった。

(3) ハワイ州ホノルル市カイオオドライブ所在の土地及びアパート(昭和六一年一二月一九日取得。アラモアナの物件ともいわれているが、以下「カイオオ物件」という。)については「森学園」という登記名義になっているが、これは、購入代金が森学園から出ていることを表したいと考え、ハワイの井上弁護士に相談し、同弁護士のアドバイスで「森学園」という名称で登記したためである。しかし、エスクロウの段階でもめたため、以後本件各物件については森学園という名称は用いず、被告人個人の名義にした。

(4) ロアリッジ物件については妻との共有名義になっているが、これは、接待に使用する目的で購入したもので、第三者に譲渡することは考えていなかったことから、妻についてライアビリティが問題となることはないので、共有名義のままにしておいたものである(なお、右供述は、第五四回公判でなされたものであるが、同じ事項について、第五三回公判では、その理由は分からないと供述している。)。

(三) 被告人の右供述は、少なくともパームディルの土地について被告人の個人名義にした経緯についてはベイルズ(第二五回、第二七回公判)やグリーンバーグ(第三〇回公判)の証言と一致し、それなりに納得し得るというべきである。そして、カハラやクヒオの各物件については右パームディルでの経験から被告人の単独所有名義にしたとの被告人の公判供述も了解可能であり、不自然ではない。しかし、ベイルズの証言(第二七回公判)によれば、被告人がパームディルの土地について妻の所有権を放棄させたのは、ベイルズが、将来被告人と被告人の妻との間でトラブルが生じて被告人の妻がパームディルの土地について権利主張をしたりすると森学園の利益が損なわれるおそれが生じるので、被告人に妻の所有権を放棄してもらうよう勧めたことが原因であることが認められ、ロアリッジ物件についても、実質的に森学園の所有というのであれば、同様に妻に所有権を放棄させるのが理にかなうというべきである。さらに、被告人の供述によればカハラ物件もいわゆる迎賓館の建設ということで第三者への譲渡を考えていなかったようであるが、それについては単独名義としていることをも考えると、ロアリッジ物件について共有名義のままにしたことについての被告人の前記供述を直ちに措信することはできない。

3 本件各物件の利用状況及び取得目的について

(一) ロアリッジ物件

被告人は、ロアリッジ物件は、その一部を被告人の家族や学園教師が使ったが、基本的にはいわゆる迎賓館として金融機関関係者及びその家族等の接待用として使用していたと供述しており(第一二回公判)、被告人のおいで被告人の運転手等をしていたG(第二一回公判)やホノルルで旅行会社を経営していた上田透(第一九回公判)も、ロアリッジ物件を金融機関関係者らの接待に使用したことがある旨証言している。

しかし、被告人の妻Iは、検察官に対し、昭和五八年八月から子供の英語教育のため長男及び長女と一緒にハワイに移り住み、家を借りて住んでいたが、ロアリッジ物件購入後間もない昭和六二年二月ころから親子でそこに居住していた、ロアリッジ物件購入の際、被告人から「自分たちの家だから共有にしておこう。」と言われた、同年六月に帰国したが、その後平成元年までは家族がハワイに行ったときにロアリッジ物件に滞在していた、同年六月に長女がハワイの高校に入学するため単身でハワイに行き、ロアリッジ物件に住んで学校に通っていた、その際、ロアリッジ物件は車がなければ不便なところで娘一人では心細いので、ハワイに留学中の森学園の教師菊地俊行に同居してもらった、また、長女の友達や自分の親族を宿泊させたりした、家賃などは払っていない、と供述している(甲四三ないし四五)。そして、各日本人出帰国記録調査書(甲一五一ないし一五三)によれば、昭和六二年六月に帰国した後も、被告人の妻や長男及び長女が頻繁にハワイに渡航しており、ハワイでの滞在期間は長いものでは一か月程度にも及んでいること(長女留学中の同女の出入国関係を除く。)が認められる。

Iは被告人の妻であって、事実に反して殊更被告人に不利益なことを供述する理由は全くないことから、右供述は十分信用でき、同人の右供述に加え、前記2で認定したようにロアリッジ物件の登記名義が被告人と被告人の妻の共有になっており、この点についての被告人の弁解が合理性を欠くことをも併せ考慮すると、ロアリッジ物件は、主として被告人の家族が居住する目的で取得したものと認められる。

(二) カハラ物件について

増田の証言(第七回、第八回公判)によれば、カハラ物件の所在地は当時地価が高騰していたところであり、被告人は右物件を見て直ちにその購入を決めたこと、カハラ物件の購入後、右土地上の古い建物を取り壊し、その後は増田が一時期住宅の試作品の展示場として借用していただけであったことが認められる。しかし、他方、増田は、被告人からカハラ物件はゲストハウスにするということを聞いていた、ゲストハウス用の設計図を見たことがある、とも証言しており、I(甲四三)、G(二一回公判)及び川畑重雄(三一公判)も、被告人から迎賓館建設の話を聞いたと供述ないし証言していること、資金繰りの悪化からカハラ物件を手放さざるを得なくなったため、迎賓館の建設は実現しなかったとの被告人の公判供述(第一二回公判)を虚偽であるとも断定できないことに照らすと、被告人がカハラ物件の購入を決めた際、その利用目的として接待用の施設の建設を考えていたことを否定することはできない。

(三) クヒオ物件について

被告人の公判供述(第一二回公判)、岡崎憲秀(第五回公判)、冨岡重秀(第六回公判)、及び増田(第七回、第八回公判)の各証言並びにI(甲四三、七六)、木村秀雄(甲四九)及び岡崎憲秀(甲五〇。抄本二通)の各検察官調書によれば、被告人はクヒオ物件購入後、その土地上に高級ホテルコンドミニアムを建設し、その一部を分譲販売することなどを計画し、結果的には実現しなかったものの、実際に現地の設計事務所などに依頼してその設計をさせるとともに、隣接するハワイ州の土地の払下げや建築許可をとるための具体的作業を行っていたことが認められるが、他方、右の各証拠によれば、クヒオ物件に関する右プロジェクトの主要な関係者は、その事業主体を被告人個人であると考えていたこと、途中から事業主体を被告人が代表者となって設立した現地法人(ハイ・フォレスト・インターナショナル)としたが、同法人の出資者及び役員のうち森学園関係者は被告人及び被告人の妻のみであったこと、クヒオ物件のアパートの家賃は、増田が集金し、必要経費等を控除した上、被告人の指示するバンク・オブ・ハワイの被告人の妻I名義の口座に入金し、被告人の妻子の生活費等に充てていたことが認められる。

4 本件各物件の担保設定状況について

恩田勝の証言(第五回公判)、清田英仁(甲五一)及び恩田勝(甲五二。抄本)の各検察官調書並びに各報告書(甲九二ないし九四)によれば、平成元年二月二八日、ハワイ州ホノルル市カラカウア通り所在のワイキキビーチタワーの一室(以下「ビーチタワー」という。)、カイオオ、ロアリッジの三物件を担保に株式会社ジージーエス(以下「GGS」という。)から五億円の融資を得たこと、さらに同年三月二二日にカハラ、クヒオの各物件を担保にGGSから合計一〇億円の融資を得たことが認められる。被告人は、公判廷において、森学園の資産を増やす目的で主に株を買ったり土地を購入したりするための原資として借り入れたと供述し(第一二回公判)、また、清田英仁(甲五一)及び恩田勝(甲五二。抄本)の各検察官調書によれば、右金員はいずれも森学園の口座に入金されたことが認められるが、他方、平成元年二月二八日の右貸付けに関する同月二三日付け取引申請書(清田英仁の検察官調書(甲五一)添付資料一)の債務者欄には被告人自身が「甲野太郎」と記入し、右取引申請書担当者意見欄5に学校法人森学園の昭和六三年度の収入高、借入金などの記載があるものの、同欄1には「本件は学校法人森学園理事長甲野太郎氏からの申し出である」と、同日付け借入申込書(同資料二)の顧客名欄には「コウノタロウ」と、それぞれ明記され、また、平成元年三月二二日の右貸付けに関する同月一五日付け借入申込書(同資料六)には、その顧客名欄に「コウノタロウ」、担当者意見欄1に「本件は甲野太郎氏(学校法人森学園理事長)への追加貸出」とそれぞれ記載されているなど、関係書類は被告人個人の借入れの体裁をとっていること、GGS側の担当者であった前記恩田は、被告人の話では、融資を受けるのは被告人個人ということであり、担保物件は被告人の所有あるいは被告人と妻の共有と聞いているが、学校法人森学園の所有だとは聞いていないと証言している(第五回公判)ことからすると、被告人が個人としてGGSから合計一五億円の融資を受け、その担保として本件各物件を含むハワイの物件を担保に供したものと認めるのが相当である。

この点について、弁護人は、本件各物件及びビーチタワーについては、渋谷税務署の税務調査の際、森学園側は森学園の資産であると主張していたが、その後森学園と渋谷税務署との交渉の結果、ビーチタワー及びロアリッジ物件については森学園の所有とし、クヒオとカハラの各物件については、被告人個人の所有とした上その購入代金は森学園から被告人への貸付金とすることで協議が成立したところ、昭和六三年九月ころには森学園と渋谷税務署との間では、右のように処理することについて最終的な合意ができていたことから、被告人は、クヒオとカハラの各物件が被告人個人の資産であるとの認識の下に前記平成元年三月二二日付けの個人借入れを行ったものであると主張し、被告人もこれに沿う供述をしている(第五〇回公判等)が、被告人は、渋谷税務署との協議により被告人自身の主張どおり森学園の所有と認められたビーチタワー及びロアリッジの各物件についても、右協議が実質的に成立した後であるとされる平成元年二月にクヒオ及びカハラの各物件と同様にそれらの物件を担保として被告人個人の名義で借入れを行い、しかも各借入れとも森学園の口座に入金しているもので、被告人が両者を区別していた様子はうかがわれず、クヒオ及びカハラの各物件を担保とした借入れについては被告人の借入れの態様と渋谷税務署との協議結果が結果的に一致したというにすぎないものと認められる。

なお、各借入金がいずれも森学園の口座に入金されていることは前記のとおりであって、被告人は、渋谷税務署との右合意にもかかわらず、担保とした各不動産によって区別することなく、いずれの借入れについても森学園の口座に入金しているものであるから、そのことから借入名義人さらには各担保不動産の所有関係を推測することはできない。

5 四年制単科大学設立構想について

(一) 被告人は、公判廷において、平成三、四年ころをめどとして、四年制の英語の単科大学を設立するため、厚木市又は八王子市に約一万五〇〇〇坪の敷地を取得することを予定し、その設立予算として約五〇〇億円を考えていた、そのうち一五〇億円は企業からの寄附により、その余の三五〇億円は不動産投資及び株式投資によって調達しようと思っていた、右のような大学設立構想を背景に、カハラ物件は融資を引き出すための金融機関関係者等を接待するための本格的な迎賓館を作る目的で、クヒオ物件はその土地上に高級ホテルコンドミニアムを建設して分譲販売するなどして得た利益を森学園に帰属させる目的で、いずれも森学園の資産として購入した、と供述している(第一二回公判)。

(二) 確かに、被告人が四年制の英語の単科大学を設立する構想を持っていたことは、D(第一七回公判)、小林哲雄(第二三回公判)、緑川正博(第二四回公判)、川畑重雄(第三一回公判)らの各証言によって裏付けられているところである。

しかし、右大学設立構想は理事会等により森学園の事業として行うことが決定されていたわけではなく、また、その内容自体被告人が公判廷で供述した以上には具体化しておらず、もとより大学設立認可に向けての準備、設立のための費用の具体的な積算、企業への寄附依頼等費用を調達するための各種方策等についての検討等その実現に向けた具体的活動がされていた様子は全くうかがわれない。

加えて、森学園は私立の専修学校であって、大森正嘉の検察官調書(甲五五)によれば、森学園の本来の主要な収入である入学金、授業料等の収入は年間四億円前後であったと認められ(同検察官調書添付の決算報告書に記載されている授業料収入等はもう少し多額であるが、大森の供述によれば、右決算報告書は金融機関に提出するため水増しされていることが認められる。)、大学新設のための十分な資産を持ち合わせていたともいえず、被告人の供述する大学設立構想は森学園の実体とはかけ離れたものというほかない。

以上の諸点にかんがみると、結局、前記大学設立構想は、森学園の構想ではなく、単に被告人の個人的なしかも抽象的な構想にとどまるものであったというべきである。

四  結論

1 ロアリッジ物件について

前述のとおり、ロアリッジ物件は、被告人と被告人の妻の共有名義で、かつ主に被告人の家族が居住することを目的として、購入したものと認められるから、被告人及び被告人の妻の私的財産とみるほかなく、その購入代金に充てるため森学園の金員を送金することが、不法領得の意思に基づくものであって、横領罪を構成することは、明らかである。

2 カハラ及びクヒオの各物件について

弁護士及び被告人が前提とする前記大学設立構想が、被告人の個人的な構想であるにとどまり森学園の構想といえないことは、前記のとおりである。加えて、カハラ物件の購入価格は約二億四三〇〇万円であるところ、日本の金融機関関係者等の接待のために巨額の金員を支出してわざわざハワイに土地を取得した上迎賓館なるものを建てるなどということは、森学園の前記経営規模からは余りに不相応なものというほかなく、カハラ物件の購入が森学園の事業を前提としたものともいえない。また、クヒオ物件の購入は、営利の不動産事業を目的としたものにほかならず、私立学校法は、森学園のような専修学校の設置のみを目的とする同法上の法人についても、行い得る収益事業の種類を制限するとともに、収益事業を行う場合にはその事業の種類その他その事業に関する規定等を寄附行為で定めて所轄庁の認可を得ることとしているところ(同法六四条五項、二六条、三〇条、四五条)、森学園の寄附行為(緑川正博の検察官調書(甲五三)添付資料2)には行うことのできる収益事業について何ら定められておらず、森学園が不動産事業を行うことができなかったことは明らかである。実際にも、前記ホテルコンドミニアム建設計画の遂行状況に照らすと、同事業の主体は、被告人個人ないし被告人が主体となって設立した現地法人であって、森学園ではなかったと認められる。

右のほか、前記のとおり、被告人は、カハラ及びクヒオの各物件をいずれも被告人個人の名義で取得し、しかもその購入価格が森学園の事業規模に照らし著しく高額であるにもかかわらず、理事会の決定や評議員会の諮問を経ることなく被告人の独断で契約していること、右各物件を担保として被告人個人で借入れをしていること、さらに、クヒオ物件については、アパートの家賃収入を被告人の妻の預金口座に入金した上、妻子の生活費に費消していたことを総合すると、カハラ及びクヒオの各物件についても、森学園の資産としてではなく、結局は被告人個人の資産として購入したものと認めるほかない。したがって、その購入代金に充てるため森学園の金員を送金することが、不法領得の意思に基づくものであって、横領罪を構成することは、明らかである。

(法令の適用)〈省略〉

(量刑の理由)

一  本件は、私立専修学校である学校法人森学園の理事長であった被告人が、自己の用途に使用する目的で妻との共有名義又は被告人単独名義でハワイの不動産を購入するために森学園の金員を横領したという業務上横領の事案(判示第一ないし第三の各事実)及びラスベガスでバカラ賭博をするために森学園振出名義の小切手一通をカジノの担当者に交付して森学園に債務を負担させたという背任の事案(判示第四の事実)である。

二  判示第一の犯行は、主としてハワイで妻子が居住する際に使用させる目的でプール付きの広大な邸宅を購入し、その購入代金として一億六四五〇万円もの森学園の金員を送金して横領したもので、私利私欲に基づく犯行であり、公私の混同は甚だしく、被害も極めて多額である。また、判示第二及び第三の各犯行は、被告人が個人的に抱いていた英語の単科大学設立構想を実現するための資金作りの一環として、合計約七億三八六五万円もの森学園の金員を送金して横領したもので、これもまた後述するような学園の私物化の表れというほかなく、その被害は正に巨額である。判示第四の犯行は、昭和五十七、八年ころからラスベガスのホテルで常軌を失した多額の金員をかけてバカラ賭博を繰り返し、高額の債務を負っていた被告人が、被告人においてあらかじめ森学園の当座預金口座に入金しておいた小切手決済資金が四〇〇〇万円しかなかったにもかかわらず、額面六〇〇〇万円の森学園振出名義の小切手を作成してラスベガスへ持参し、バカラ賭博をするためカジノの担当者に右小切手を交付して森学園に対し右入金額との差額二〇〇〇万円相当の損害を加えたもので、動機に酌量の余地は全くない上、被告人は森学園の最高責任者であってその背信性は極めて強く、教育者としても誠に恥ずべき行為というほかない。

三  被告人は、森学園の原点である、NHKラジオの英語講師であった松本亨を中心として発足した松本亨英語教育研究会の創設時からのメンバーであったが、発足当時から一貫して経理関係を一手に掌握し、その融資獲得能力や経営手腕によって、当初は個人塾程度の規模であったものを飛躍的に拡大させ、森学園の資産を増加させてきたこともあって、森学園の発展は自分の力によるとの自負が強く、松本亨の死後法人化して理事長となった後、創設時のメンバーが被告人のやり方に反発して去っていく中で専断的経営を強め、いわゆるバブル経済の波に乗って、森学園の資産と被告人個人の資産を明確に区別しないままこれらを運用して、本来の教育事業とはかけ離れた株式や不動産への大規模な投資を行うようになり、これに対する経理監査も十分行われない状態が続いていたもので、被告人は森学園の資産をあたかも被告人個人の資産と同じような意識で扱っていたものということができる。しかし、森学園が被告人とは別個の権利主体であって、その資産も被告人個人のものでないことはもちろん、森学園は、教育の一環を担う公益法人として、収益事業を営まない限り法人税等の納税義務を負わないなど数々の特典を与えられる一方、学生の権利、利益などを保護するため、理事長らの専断の防止や経営基盤の安定のための様々な制約を受けていたものであって、森学園の最高責任者として、公益法人に対する右のような法律上の要請にこたえ、社会的責務を果たすべく、健全かつ安定した森学園の運営に務めなければならなかったにもかかわらず、被告人が森学園の資産を私物化して本件各犯行に及んだことは、厳しく非難されるべきである。さらに、一連の犯行による被害額は総額約九億二三一五万円にも達すること、在籍していた学生らに与えたであろう影響等をも考慮すると、被告人の刑事責任は重い。

四  他方、判示第二及び第三の各犯行については、私腹を肥やすためであったとまでは認められないこと、判示第一ないし第三の各物件を担保として借り入れた金員は、森学園の口座に入金されて株式投資等に使われたとみられ、専ら被告人個人の用途に使用されたとまではいえないこと、判示第四の犯行に係る森学園振出名義の小切手は、被告人がホテル側に取立てに回さないよう強く要請したため、取立てに回されないまま後日被告人が回収したとみられ、その後右小切手に関して被告人が支払った金額も被告人においてあらかじめ森学園の口座に入金していた金額の範囲内にとどまっており、結果的には実害の発生には至らなかったこと、被告人は英語教育に関し永年にわたり少なからぬ貢献をしてきており、もとより前科、前歴もなく、また、本件により相当の社会的制裁も受けていること、その他被告人の年齢、健康状態等被告人のためしん酌すべき諸情状も認められる。

五  当裁判所は、これら諸般の情状を総合考慮し、主文掲記の刑が相当であると判断した。

(一部無罪の理由)

平成三年五月三〇日付け起訴状記載の公訴事実第一及び第二については、事実認定の補足説明第一に述べたとおり、本件全証拠によるも右各公訴事実を認定するには足りず、結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。なお、同起訴状記載の公訴事実第三の一の業務上横領についても犯罪の証明がないことは、右補足説明第二に述べたとおりであるが、右事実は、判示第四(同公訴事実第三の二)の背任といわゆる観念的競合の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、右業務上横領の点については、主文において無罪の言渡しをしない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金谷暁 裁判官 村田健二 裁判官 香川徹也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例